岩手県宮古市「冨士乃屋」

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■食堂のルーツは『お手製』にあり

冨士乃屋-03

冨士乃屋が創業したのは昭和8年、昭和三陸津波直後のこと。初代の野崎ふじさんは、北海道から親戚を頼って移り住んだ宮古で、重茂半島ご出身のご主人と知り合い結婚。料理上手だったこともあって始めた、手づくりのお饅頭や餅のお店がルーツです。

ふじさんが作る素朴なおいしさが、町の評判になる中で「お菓子に使っていた小麦粉やそば粉があればできるはず」ということで取り掛かったのが自家製麺。メニューに日本そばやうどんの文字が加わるまでには、時間はかかりませんでした。

また、現在の中華料理中心のメニューの基礎となるラーメンも、自家製麺で作っていたとのこと。食堂の歴史を支えてきたのは、お手製で粉を加工する技術でした。

忙しい日々の中で、5人の子供に恵まれた初代ご夫婦。その中でも「特にふじさんと一緒にいる時間が長かった」というのが次女の綾子さん。働く背中を見つめているうちに、食堂を継いだのは「必然だった」とのことです。

麺料理の他に、チャーハンやカツ丼といったご飯ものが食堂を賑わせるようになったのもこの頃。「ウチは一般的ないわゆる食堂なので、こうしたものを全部作っているうちに、少しずつメニューが増えていったんです」

そんな言葉と共に町で頼れる存在になれば、当時盛んだった出前も引っ切り無し。冨士乃屋では綾子さんが作る料理を、ご主人のしげる(草かんむりに千)さんが出前をする役割分担でした。

「20年ぐらい前まで出前が盛んでした、出前に出ると次に届ける料理が入ったおかもちを準備。車に積んで一日で何回も届けていました」

特に得意さんだった市役所や病院と店との往復は、雨の日も風の日も絶えることなく繰り返されていました。