宮城県気仙沼市「かもめ食堂」

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■港町の日常に欠かせなかった食堂の味

かもめ食堂-01
「震災の前、ここのすぐ近くにウチの会社があったので、カツ丼やラーメン、あとは焼き魚定食を食べてました。ウチの母親もここのラーメンが好きで、よく食べてたんです。」

気仙沼の駅から乗車したタクシーの運転手さんに、そのお店について尋ねると、まるで昨日食べたごはんを語るかのように、思い出を伺うことができました。

昭和17年に気仙沼に創業した『かもめ食堂』。

地元の漁師さんをはじめとした住民や、大島や唐桑に向かうフェリーの出発を待つお客さんによって、広さ6坪・14席の小さな食堂は、いつも賑わいで包まれていました。

海風で冷えた身体を温めてくれるそばやうどん、腰を落ち着けしっかりとお腹を満たせる焼魚定食、あるいは親子丼や玉子丼。当時としてはメニュー豊富なこのお店で、昭和30年代に始まったラーメンは、瞬く間に人気を博していきました。

初代から厨房を引き継いだ姉妹によって、長らく味と暖簾が守られてきましたが、平成18年に高齢化と後継者不在を理由に、店の歴史に幕を下ろしました。

風待ち地区と呼ばれる気仙沼の海沿いで、シンボルとして愛されていた食堂。その建物は閉店後も大切に保存されてきました。しかし、東日本大震災の津波によって、跡形もなく姿を消してしまったのです。

■風待ち地区のシンボルは、復興のシンボルに

かもめ食堂-02

※現在のかもめ食堂の従業員のみなさん。左から二人目が齊藤進治さん。

現在、東京でラーメン店「ちばき屋」を営む千葉憲二さん。気仙沼で生まれ育った千葉さんが、生まれて初めてラーメンと出会ったのは、かもめ食堂でした。

自身のルーツであり日常に欠かせなかった存在。それが失われてしまった中、復興に向けて誰もに愛された食堂の復活を望む声は、日に日に増していきました。

震災前の気仙沼の日常を取り戻すため、千葉さんは復活を決意。かもめ食堂のラーメンを継ぐ人を育て、地元の雇用を生み出す。そんな強い思いと共に動き出しました。

前と同じく海沿いに店舗を建築し、従業員の多くを地元で採用。数々の開店準備を経て2015年11月19日にかもめ食堂は復活。オープンから現在まで地元住民や観光客、復興に向けて働かれている色々な方が訪れ、復興への第一歩を踏み出したのです。

「今思えば、小さい頃に知らず知らずのうちに食べに行ったことがあるなぁと。カツ丼や親子丼を食べたなぁと」

「学生のころは部活帰りに食堂に寄って、フェリーが来るまでの時間でお腹を満たしていました。まさか、自分がここで働くなんて思ってもいませんでしたが」

現在、食堂で働く従業員は全員地元の方。食堂での思い出をはっきりと覚えている方がいれば、それよりも若い世代の方も。そんな色々な世代を束ねるのが齊藤進治さん。気仙沼に生まれ、高校卒業後は東京で米穀物業者で販売・営業をされていました。

「年を重ねたこともあって、気仙沼で落ち着いて生活しようと思った」という思いもあって42歳で帰郷。しかし、そのタイミングとほぼ同じくして、東日本大震災が発生したのです。

その後、一旦は土木関連の仕事に就かれましたが、「やっぱり、販売や営業といった客商売をしていたので、接客をしたかったんです。話をするのも好きだし」と、食堂の復活を知って従業員に応募。採用後に3〜4ヶ月の修行を積みました。

「自分には飲食業の経験がなかったので、修行は辛かったです。でも、みんなで頑張ろうと助け合ってきました。震災によって従業員それぞれに辛いことがあったのですが、オープンから一年が過ぎたころに、ようやく達成感が自分の中に溢れてきました」

オープンした当初は緊張の毎日を過ごしていましたが、今では少しずつ他のお店に行く機会も増えて、従業員さん同士で食堂の質を高めるために、日々ブラッシュアップしているとのこと。

「私たちの中に『スタートだ!』という気持ちが強くあってこそ、お客様に評価いただける。スタッフみんなで新しいことをやっていこう!という思いを大切にして今日までやってきました」


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