宮崎県日向市『お食事処ながとも』の肉うどんとちゃんぽん、チキン南蛮、チキンライス

2020年8月23日

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宮崎県の北寄り、日向灘に面し豊富な魚介類に恵まれた日向市。街の玄関口・日向市駅から歩くこと7分ほど。ホテルに併設された食堂の入口に掲げられた暖簾には、『大正10年創業』の文字が記されている。ここが日向市の百年食堂『お食事処ながとも』。

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ガラス戸の先に鎮座する鎧に”歴史好きのご主人なんだろうか…”と思っていたら、「それは初代の祖先が、西南戦争で西郷隆盛の側についた時に使っていた鎧なんですよ」と、驚きの事実を話してくれた。

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こうして出迎えてくれたのは四代目の長友健治さん。白衣やエプロンではなく、ボタンダウンシャツにニットの姿での出迎えに新鮮な印象を受け、暖簾を受け継ぐまでの経緯を知ると”なるほど”と感じた。

■一杯のうどんに込めた恩返しへの想い

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「日向駅の前に大分から来た老夫婦が営んでいたうどん屋さんがあって、初代はそこに弟子入りしたんです」

ながともの歴史は宮崎市生まれの長友岩次郎が、東京行きの高千穂号に乗車したことから始まる。

青果や海産物業を営んでいた岩次郎は仲間の借金で保証倒れの災難に。妻・トクさんと三人の子供を養うべく上京を決意したものの、慌てて東京行きの鉄道に乗り込んだ際に、乗車賃や東京での生活費を忘れてしまった。

有り金すべて使って到着した日向駅で列車を降りた岩次郎。失意と空腹の中、一軒のうどん店にたどり着いた。疲れた心と身体をやさしく包む味に惹かれた岩次郎だったが、空腹と心を満たした後に手持ちがないことを思い出す。

できることといえば代金が払えないことを心から詫びるぐらい。それでも夫婦は話す姿や事情から誠意を感じ、許すだけではなく「うちで働いてみないか?」とやさしく声をかけた。こうして恩返しの気持ちとともに弟子入りを決意。うどん作りに精進する日々を送ることとなった。

そんなある日、調理中のケガが原因でご主人から店を託された岩次郎。ご主人のうどんに近づけようと試行錯誤を重ねた。

「最初の頃のうどんは麺の歯ざわりや硬さが違ったみたいなんです。でも、身体の大きさが初代とご主人とでは違うことに気づいてからは、ご主人が作る味をしっかり再現することができた。それ以来『日向の街に出たならウチのうどんを食べないと』って、他の地域からも人気になったんです」

情熱を込めて作った味がお客さんに届き、跡継ぎとして「長友うどん店」の屋号を掲げたのは大正10年のことだった。

■ラムネ製造、教習所経営、ホテル管理。食堂だからできた多角経営

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アーチが並ぶ上町通りに店を開いた当時の長友うどん店。

トクさんと三人の子供と共に、日向市での生活を過ごしてきた岩次郎。

そんな彼が築いた暖簾は娘の由子(よしこ)さんと、婿入りした健(つよし)さんが二代目として継承。屋号を「長友食堂」に改め、家庭の味を守るかのようにうどんの味を守りつつ、新しい料理の提供だけではなく新たな事業にも積極的に取り組んだ。

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「今はもうないんですが、初代は一時うどん店が軌道に乗ってから料亭も出して割烹料理を手がけていたんです。そうした流れもあって、二代目が手がけたのがラムネ飲料。『長友飲料』という会社を立ち上げて”菊水”という名前で出していました。売上も好調で金額シェアが非常に大きかった時代。大手メーカーの進出で事業は終了したものの、そうした色々な取り組みが地域に根付いていたんでしょう。それがきっかけで自動車学校の経営も手がけることになったんです」

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地域からの信頼があってこそ可能な多角化を更に進めたのは三代目の宏八郎さん。現在、食堂と隣接するホテルも三代目が始めたものだ。

「父の家系は宮崎の国富町ですが、お兄さんが日向で商売をしていたんです。父はそこで働くはずだったものの母と出会って婿入りして今に至ってます。元々がよろず屋をしていた商売人の家系なので商売は上手。区画整理で食堂の場所を移す際、当時ここの土地を持っていたこともあって、隣接したホテルと併設させて手がけることになったんです」

宏八郎さんが経営に携わったことで、手がける教習所の数も3箇所に増加。色々な事業を手がけたいという初代の思いは、代を重ねるごとに色々な形で地域への恩返しとして息づいている。それは四代目として暖簾を受け継いだ健治さんも変わらない。

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「昔から食堂を継ぎたいと考えてましたが、以前はアパレルメーカーで卸・小売を手がけてました。ただ、洋服の販路もインターネット中心になってディーラーが作り手以上の権限を持ってしまう。そこに危機を感じていました。そこで自分でしっかりと権利が持てる料理をしっかり取り組んでいきたいと思ったんです」

健治さんが戻るまでは「弟が食堂を手伝っていてくれた」と、兄弟で四代目を継いだ形となったながとも。とはいえ、食堂からホテルまで少人数で全てを取り組むのは難しいこと。そこで宏八郎さんは味を守りつつ食堂の経営を安定させるために、近代的な取り組みを導入した。

「親父の頃から職人さんを呼んで料理を作るようになり、今は各店舗の料理長が味を管理する仕組みで運営しています。幸いウチの店には昔からの職人さんや魚をさばける和食の料理人といった、料理の基本を理解しているスタッフばかりなので信頼してます」

洋服で言えば縫うことに専念するよりもデザインや着心地といったゴールを設定し、縫い手の確保や環境づくりに動き回るということ。時代の変化に応じた手法は跡継ぎ不足が問題となっている食堂業界にとって一つの答えかもしれない。

「三代目として父が継いでからは、料理人さんに『こういう料理を作りたい』という話をしたり味へのアドバイスをしていました。僕自身も料理の専門学校には行ってないけど店の厨房で毎日のように作っています。経営者として味を決めながら、調理の補助をしていければと考えてます。特にうどんは昔から食べていたので、おいしいうどんの基準イコール自宅の味。色々なものを食べ歩いても一周すると自宅の味がやっぱりいいなぁと」

そんな気持ちで取り組むからこそ、味がブレることはなくお客さんの胃袋を喜びで満たしている。

「食堂に戻る時の条件として、自分の中でアパレルに対する気持ちを消化できないままだとダメだと思ってましたが、幸い僕は完全燃焼できたんです」

その顔には先人が培ってきた食堂への敬意と共に、今の「お食事処ながとも」を支えている自負を感じた。

■代々の主が考え抜いた「ながとも」の名物料理

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そんな食堂の名物料理は数多く、それぞれの代を象徴する一品がある。

「初代がご夫婦から受け継いだ当時から肉うどんが大人気でした。牛バラ肉を使うことや味付けは当時から変わりませんが、食糧難で肉がなかった時代の仕入れには苦労していたようです」

お客さんを喜ばせたいという信念が生み出した看板料理から始まった系譜は、二代目のちゃんぽんとチキンライスに受け継がれる。

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※長友家の屋号が描かれた丼をかぶったキャラクターは、「東国原さんが知事だった時代に作った」というピーちゃん

「うどんだけでやっていた中で世の中に色々な食べ物が広まってきたので、食べ歩きが好きだった二代目の女将がレシピを考えたんです。これがきっかけで料理の範囲が広くなって、三代目からは定食類を始めたんです」

中でもチキン南蛮定食はすぐに定着。これをアレンジした梅ダレのチキン南蛮は「三代目と四代目の共作で生まれた」ものだ。

こうして生まれた代々の顔たる味、食べないわけにはいかない。

■ふわもちの肉うどん、野菜たっぷりのちゃんぽん。そして驚き凝縮の鳥料理

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まずは原点の肉うどん。口当たりふんわり食感もっちり、それでいてハリを保っている。九州らしい麺がいりこの旨味と肉の煮汁に溶け込んだ旨味が一つになったおつゆに浸かる。

「出汁には北海道昆布と四国のいりこを使って、醤油も初代から同じ醸造元のを使い続けています。麺は九州産の粉で地元に合うような麺の太さと食感を追求しています。茹で時間で讃岐うどんっぽくないように調整してますが、こっちのお客さんは福岡的な柔らかさとも違ううどんを好みますね。製麺は二代目が最初は足踏みで作っていましたが、そこから従業員に機械打ちを伝授。生地づくりの技術や作り込む過程は昔と変わらないですね」

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甘辛仕立ての牛肉やたっぷりのネギと一緒にうどんを啜れば、もう口は喜ぶしかない。

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「『野菜麺』みたいな感じですね」と健治さんが語るほど、たっぷりの野菜が目を惹くちゃんぽん。強火で炒められたシャキシャキの食感にみずみずしさと甘さが凝縮。動物性のエキスたっぷりのコク豊かなスープと麺の相性は言わずもがな。

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「黒豚の骨と地鶏から出汁を取っている」スープはこの上なくまろやかで、中華鍋で野菜と合わせて生まれる香ばしさがポイント。麺も「自家製麺機を昔から使っていて、うどんの工場があったので小麦には事欠かず、そこで作っていた」というもの。角麺の食べごたえも力強い。

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大皿に盛られた昔ながらのチキンライス。一口頬張れば期待通りの素朴な味。もも肉とスクランブルエッグの親子な組み合わせに、刻み玉ねぎが甘さを効かせた味をケチャップがまとめている。
ただ、一つ大きな違いがあるとすれば「昔から皮をしっかり使ってる」という点。弾力と脂のコクがアクセントとなって食べ進めさせる。

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そして宮崎名物のチキン南蛮。「もちろん鳥は宮崎産。最初はムネ肉を使っていたが、おいしさを考えてモモ肉を使っている」というジューシーな一品。大振りの唐揚げからあふれる肉汁と、さっぱりした黒酢と自家製タルタルの組み合わせに笑顔が溢れる。

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ホテルの宿泊客向けのお店という役割もあって、日向灘で水揚げされた魚を中心としたお刺身も充実。奥日向サーモンをはじめとした地魚は「毎日、市場に出向いて仕入れているんです」とクオリティの高さに驚くしかない。

■「不易流行」の言葉を胸に

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※「記録に残しておこう」ということで、数年前に作られた初代にまつわる小冊子。こうした取り組みを行う食堂は多くない。

「まだ6歳の娘なんですが今から婿を取れと言ってます(笑)」

健治さんには、ながともの次の世代を担うお子さんが一人。

「基本は娘にやってほしいのですが、ウチは色々な事業をやっているので、弟の子供とかも継ぐ可能性もあります。事業部制になるかもしれないですし、そこは時代に合わせてですね」

それでも「ここまで大きくした父の教えを基本にして欲しい」という点だけは譲れない。

「自分はこれからも『不易流行』を念頭においてやっていきたいですね。今のながともは日々食べに来るお客さんに信頼いただいてもらっているからこそ。そして、そんな食堂があるからこそ今がある。だからこそ食堂の火は絶対に絶やしたくない。これからもこの味を守っていきます」

一杯のうどんから生まれた思いと決意は大正、昭和、平成、そして令和へと元号が変わっても揺るがない。


【お店データ】
創業年:大正10年(取材により確認)
住所:〒883-0045 宮崎県日向市本町11-1
電話番号:0982-52-4849
営業時間:10:00〜15:00/17:00〜22:00(平日)10:00〜22:00(土日)
定休日:なし
ウェブサイト:http://nagatomo.rumieru.jp/
おすすめメニュー:
肉うどん(中・600円)/ちゃんぽん(720円)/チキン南蛮(670円・定食870円)/チキンライス(700円)
※店舗データは2019年1月23日時点のもの、料金は2020年6月7日時点のもの。料金には消費税が含まれています。

〒883-0045 宮崎県日向市本町11-1


プロフィール

百年食堂応援団/坂本貴秀
百年食堂応援団/坂本貴秀合同会社ソトヅケ代表社員/local-fooddesign代表
食にまつわるコンテンツ制作をはじめ、商品開発・リニューアル、マーケティング・ブランディング支援、ブランディングツール制作などを手掛ける。百年食堂ウェブサイトでは、全記事の取材先リサーチをはじめ、企画構成、インタビュー、執筆、撮影を担当。