「日本一標高が高い駅として知られる野辺山駅。この駅は何という路線にある?」
クイズ番組の問題として登場することもあるJR小海線。長野の小諸と山梨の小淵沢を結ぶ高原路線の中ほどに、長野県南佐久郡小海町は位置する。
1100年前、八ヶ岳の水蒸気爆発で土砂崩れが発生。ここを流れる千曲川を土砂が堰き止めたことで、いくつかの湖沼ができた。その中で小さいものが『小海』と呼ばれたことで、海に面しない場所ながら現在も地名として残っている(※諸説あり)。
そんな町の玄関口・JR小海駅の目の前に、桔梗家が店を構えたのは1920年のこと。
百年に渡り、町に欠かせない存在として親しまれるお店の物語を、四代目の小林なかえさんに伺った。
◯街の魚屋が駅前に料理屋を出した理由
「初代は佐久市の中佐都(なかさと)の生まれで、小海に出てきて”川西”にあった劇場の前で魚屋を開いたんですよ」
この川西という言葉は小海町について話す上で欠かせないキーワード。地元の方は町の中央を南北に流れる千曲川を境に「川東(地区)と川西(地区)」と呼び、桔梗家は川東に位置する。
群馬県との県境に位置する現在の佐久市で生まれた小林清治郎さんは、川西にある現在の馬流(まながし)商店街で『桔梗屋』の屋号と共に魚屋を開業。「海の魚を扱っていた」こともあり、劇場や芸姑の置屋を始め、酒屋や米屋が軒を連ねるこの一角で重宝される存在だった。
そんなお店が飲食店を始めたきっかけ、それは小諸駅と小海駅を結ぶ佐久鉄道の開通だった。
「佐久鉄道の開業に合わせて、勘治さんの奥さんが駅前で料理屋を始めたんです。当時は芸姑さんもいて料理も今のような食堂のごはんとは全く違うものでした」
繭や生糸、米、酒、材木などの特産品運搬を目的に佐久鉄道は1919年に開業。小海駅前にも色々なお店が立ち並ぶ集落が生まれた。
二代目・勘治さんの奥さん・美代さんは鉄道開業後の1920年、現在の場所に桔梗家を開業。「佐久鉄道で働く方向けに開業した」こともあって、賑わいの絶えない日々を過ごしていた。
しかし、昭和時代を迎えると経済不況やバスの開業で佐久鉄道の経営は危機に直面。昭和9年には政府が買収し国鉄の小海北線となり、翌年には小海南線とを結ぶ全線開通工事で現在の小海線が開業。鉄道工事で栄えてきた桔梗家も、客層の変化に対応を求められる時代を迎えた。
◯食堂へのリニューアルと、新たな看板「元祖ソースかつ丼」
そんな料理屋を街の食堂にリニューアルしたのは、1950年代に三代目として店を継いだ勝治(かつはる)さん。
「勘治さんが早くに亡くなったこともあって、30代で継いだんです。他の店で修行した経験はなく、好きだったこともあって色々店を食べ歩いて、覚えた味をベースに自己流で食堂料理を身に着けたんです」
今日まで受け継がれてきた料理の数々は、三代目によるオリジナル。そして「当時この界隈の飲食店では、まだどこも出してなかった」というソースカツ丼の提供を始めた。
この決断が食堂としての桔梗家のルーツ。店頭に掲げられた『元祖ソースかつ丼』の看板には、小海の街で愛されてきた新たな歴史と誇りが詰まっているのだ。
「私の生まれは隣の川上村。この店はきょうだいの家だったこともあって、ちょくちょくは来てたんですが、まさか自分がここに入るとは思わなかったですね」
四代目として今も桔梗家の顔として、厨房を手伝いつつホールに立つなかえさんは、小海の隣・川上村の生まれ。実は勝治さんの妻・豊枝さんのきょうだいということもあって、小林家に養子に入った。その縁で出会ったのがご主人の正(まさし)さん。
「主人と出会ったきっかけは、私の姉と主人の兄が結婚したこと。その流れで縁が生まれたんです。実は主人の実家も食堂だったんだけど、やっぱりここに来て最初は大変だったみたい」
四代目の正さんは、東京で鉄道会社に勤めていたという経歴の持ち主。26歳で結婚してから小海に移り住んで、暖簾を守ってきた約半世紀。「そうね、苦節50年って感じね!」と、そんな時間を明るく笑顔で振り返った。
◯ひと味もふた味も違う!!まさかの玉子煮かつ丼
百年食堂としての歩みが残るメニューを開くと、冒頭を飾るのは元祖ソースかつ丼の文字。これぞ看板料理、心なしか文字から自信が満ちあふれているようだ。
「ソースは作り始めた当時のブレンドと同じで、出汁とかも組み合わせて仕上げたもの。カツも大きな肩ロースから自分で切り出して、食べやすい厚さで出してるんですよ」と、三代目の味を変えず守ることを心がけてきた二人によって、昔ながらの味が残っている。
カツに使う豚肉も「以前はこの通りにあった肉屋さんから仕入れてたけど、今は千曲屋さんから仕入れている。ここはしっかりしたお肉を使ってるからね」と強いこだわりを持つ。
そんな中で気になったのが『玉子煮かつ丼』の文字。ソースカツ丼文化が盛んな長野県では、かつ丼といえばソースカツが鎮座したそれ。なので、全国的に一般的とされる卵とじかつ丼は、わざわざ「卵とじかつ丼」といった感じに書かれることが多い。
しかし、桔梗家の玉子煮かつ丼は「ソースカツ丼を卵で閉じたものなんです」と、驚きの一言。
「ウチはソースカツ丼がベースなので、ソースにくぐらせたものを卵で閉じている」という一品は、これも三代目から始めたそうだ。
その隣にはラーメン類のページ。もちろん一番手には原点の味・ラーメンの文字が。「このあたりで韓国人がラーメン店をやっていて、その方から教わっていたものがベースです。麺は今は麺屋さんに任せてますが、昔は自家製麺。うどんもラーメンも自家製麺でした」
お腹の中にソースカツ丼と卵とじカツ丼。そしてラーメンが入ったイメージをしながらメニューを見ると、
見るだけでお酒が恋しくなる一品料理のラインナップ。中でも人気は「お味噌で煮るお店が多いけど、うちは醤油」という鶏モツ煮と、「ウチでは一品料理として出ることが多いですね」という玉子煮かつ丼の具だけ版。こうなればもう、お腹に入るかなんて気にするよりも、心に従って全部注文するしかない。
◯甘めのソースが心地いい元祖の味と、まろやかに味が染み込む玉子煮かつ丼
ズラリと並んだ姿は壮観の一言!やっぱり最初は元祖ソースかつ丼に箸が伸びる。
甘目のソースを吸った衣が舌に心地よさをしっかり残し、やわらかな肩ロース肉の旨味をギュッと閉じ込めている。「サラダ油を使って揚げている」からこそ、しっかりと軽やかな食感が残っている。
もちろん、ソースのおいしさだけでごはんが進む。カツとの間にレタスと千切りキャベツが挟まっているのが、アクセントとして効果大。
その甘さが更に際立てられたのが玉子煮かつ丼。カツと卵のハーモニーに余分なものは不要!という感じに、玉ねぎや青ネギは見当たらず。ふわっと軽い卵がソースの香りも味もたっぷり吸収。もちろん、お肉の柔らかさも一層しっかり。
サクッとした衣に対して、こちらはしっとり柔らか。これは確かにお酒が進む味だ。ソースかつ丼と違って、ごはんの上に具がドスンと鎮座しているのも魅力的。
大きめの自家製野沢菜や大根の漬物が添えられているのも、当地らしくうれしい限りだ。
◯醤油タレに味の秘密が凝縮したラーメン、具だくさんな鳥モツ煮
「この昔ながらの味が好きっていうお客さんも多いんですよ」と、厨房から出てきた四代目の正さん。確かに一口スープを飲めば、煮干しの香りと旨味がぎっしり。そして何より力強い醤油タレ。
「タレはチャーシューの煮汁をベースにしていて、豚の腿肉を煮込んだエキスがたっぷり入っている」と聞いて納得。角の中太麺にしっかりとスープが染まり、すすり心地もたまらない。
塩味が効いたチャーシューを頬張ると、それはシンプルで懐かしき味。しっかり噛んで一滴残さず旨味を堪能したい。
「ウチの孫もこの砂肝が好きでねぇ」と、思わず正さんも笑顔になる鳥モツ煮。レバーや砂肝、そしてせせりが盛り沢山。どれも弾力が強く歯ざわりの楽しさに顔がほころぶ。奥まで染みた醤油の味をネギが爽やかにする味は、お酒が進むこと間違いなし。
「鶏肉は佐久の臼田から仕入れたもの。ウチで使うお肉とかの値段は確かに張るけど、やっぱりおいしいものを食べて欲しい」という気持ちも、しっかり染み混んでいる。
◯五代目が担う桔梗家の更なる進化
「子供が戻ってきてから、新しい料理も増えていったんですよ」
現在、厨房を取り仕切るのは五代目となる靖啓(やすひろ)さん。「ウチの子は兄と妹の二人きょうだい」ということもあり、横浜の調理師専門学校を卒業後、中華料理店での修行から店に戻って20年近くが経つ。そんな息子さんを正さんとなかえさんの二人が支えている。
「息子が戻ってくるから建て直したんです」と、2000年に改装した店の入口に『中華料理・各種』の文字があるのは、桔梗家の新しい看板料理を街なかに伝えるだけではなく、両親の愛情に他ならないのかもしれない。最後に暖簾を百年守る秘訣を尋ねてみた。
「昔から変わらない味を作ることもだけど、お客さんと仲良くなって笑顔になることが大切。それが信頼関係につながるんです」
三代目によって大胆に変革したからこそ、百年以上の歴史を今日も刻み続けている桔梗家。やっぱり老舗には町の変化に対応する柔軟性と大胆な決断、そして笑顔がよく似合う。
【お店情報】
創業年:1920年(大正9年・取材により確認)
住所:〒384-1102 長野県南佐久郡小海町大字小海4278
電話番号:0267 – 92 – 2038
営業時間:11:00〜14:00 /17:00~21:00
定休日:毎月第2・第4火曜日
おすすめメニュー:元祖ソースかつ丼(900円)/玉子煮かつ丼(1,000円)/ラーメン(700円)/鳥もつ煮(800円)
※店舗情報は2020年1月30日時点、料金には消費税が含まれています。