■一人ひとりの特等席で
昔ながらの商店街と、再開発で誕生した大型駅ビルで賑わうJR大分駅周辺。
時代の象徴として生まれた賑わいが幾重にも重なるエリアのメインストリート、駅前から伸びる中央通り沿いに店を構えるのが『和風グリル たかをや、』です。
奥行きある店内に整然と並ぶテーブル席に、どこに座るか迷ってしまいますが 「常連さんには居心地のいい『自分の席』があるみたいで、必ずそこにご案内します」と、この日お話をお伺いした三代目の奥様、阿部貴美子さんは、うれしそうに話されます。
一人ひとりが自分の特等席でおいしい食事を楽しむ空間として、町に欠かせないこのお店。始まりは自分が憧れていた空間を現実にしようと願い続けた、一人の女性の思い。
「初代は映画を見るのが好きな女性だったのですが、当時、ハイカラな映画を見て洋食店を立ち上げたようなんです」
食べ歩くことで勉強しようと、電話局にお勤めだったご主人と共に盛んに足を運んでいたのが、当時の県内で最も拓けていた別府。
「別府は色々な文化が入ってきた場所だったので、当時は『別府にハイライ(ハヤシライス)を食べに行こう!』という感じでした」
その経験が結晶となって『高尾屋食堂』が創業したのは大正9年。「『高尾屋』がいいよ」という、ご主人の周りからのアドバイスからつけられた屋号は、大分の町の中に少しずつ溶け込んていきました。
■戦禍を乗り越えた親子の絆
その後、料亭のような大きい店を構えて会席料理や中華に丼と、色々な料理と共に賑わいに包まれていた高尾屋。しかし、第二次世界大戦の空襲から逃れることはできませんでした。建物は全焼、初代夫婦も一度は疎開し存続の危機に。
そこに帰郷したのが、軍の調理担当として出征していた長男の阿部一郎さんと奥様の福子さん。跡地にバラック小屋を建て二代目として再建に乗り出したのです。
「優しくて厳しくて、そして着物が似合っていた」という福子さん。町の時間の中に食堂が帰ってきてからしばらくしてからのこと、福子さんが交通事故に遭ってしまいました。
これをきっかけに三代目を継いだのが寿克(ひさかつ)さん。「長男だったものの、最初は店を継ぐ気持ちはなかった」そうですが、お店に戻り一郎さんの背中越しに高尾屋の味を学び、御年73歳となった今日まで、受け継がれた味を継承発展させ、今日も厨房に立ち続けています。
そこに嫁いだ貴美子さんは大分生まれの大分育ち。高尾屋の近くにあった銀行にお勤めでしたが、意外にもこの店のテーブルで食事をしたことはなかったそうです。
「実は外食があまり好きじゃなかったので、それまで高尾屋には来たことがなかったんです。でも焼き飯がおいしくてお客さんが多かったので、これなら大丈夫だと思いました」
そう、寿克さんの料理によって胃袋をギュッと掴まれたのでした。
現在、厨房を守るのは寿克さんと四代目の浩二さん。寿克さんの二男は「高校を卒業したら本当は警察官になるつもりだった」そうですが、色々な経緯があって跡継ぎに。最初は近所の飲食店で修行もしましたが、「やっぱり、父親の背中からを学びたかったんです」という意志と共に、寿克さんと同じく背中越しに高尾屋の味を学びました。
■カレーの歩みと自家製の矜持
「昔は、高尾屋でカツ丼を食べるのがステータスだったんです」
町の中で憧れとして認知されていた高尾屋の料理。その歴史を語るのに欠かせない一品がカレーライス、実はここ大分県で初めてカレーライスを提供したお店なんです。当時、福子さんと厨房の職人さんとの中で生まれた「カレーやりましょう!」という話をきっかけに生まれてから、大分県の洋食文化の歩みに欠かせない代表作となったのです。
「親子丼とカツ丼が35銭でライスカレーが50銭と、当時はごちそうでした。私達は時代を先取りする家風ではなかったのですが、カレーだけは早く提供していたんです」
現在は期間限定での提供で残念ながらお話を伺った日は対面叶わず。代を重ねるごとに改良されてきた自慢の一品、いつかは食べたいものです。
ところで、料理に対するこだわりを伺うと「自家製」の言葉が何度も登場しました。
「主人も息子も既製品にあまりいいイメージを持っていないこともあって、すべてを手作りで提供することに意義があるんです」
常連客が毎日食べても大丈夫なように、健康と安心にこだわって食材を選びソースを作る。外食なのに自宅で食べるような安心感の根っこには、こうした心配りが欠かせません。
自家製にこだわりを持ちながら、時代の変化に合わせて進化してきた料理の数々。現在、お店のメニューは浩二さんが構成しています。
「好きなことをやってごらん。ダメならまた戻せばいい」という貴美子さんの優しさに見守られながら新作料理を続々と登場させる一方で、四代目が新たに定番として取り入れたのは郷土料理の『だんご汁』。
「以前はちゃんぽんやうどんを提供していたのですが、妻の実家で作っていた地粉(じご)の質が高く、手に入るようになったので始めた」という自信の一品。商業的な料理の中に、家庭の食卓で育まれてきた食文化に触れられる料理があると嬉しいものです。
もちろん、これを注文しない理由はありません。そしてメインディッシュに指名したのは、オススメだという『一枚ロースのしょうが焼き&とり天セット』。大分生まれの郷土料理・鶏天とだんご汁、そしてお店一番人気の料理を一度に楽しむ。これぞ旅ごはんです。
馴染みの店から仕入れた鹿児島産の豚肉を、年季の入ったフライパンで焼く寿克さん。その隣では、大きな揚げ鍋の中でとり天が香ばしく色づく様子を確認する浩二さん。おそろいのTシャツを着た親子が並び立つ姿に、ついつい見入ってしまいます。
その傍らでは美紀さんがだんご汁を作っています。実家から取り寄せる粉を手捏ねした生地を冷蔵庫で寝かせて、オーダーを受けてから手延べする。「昔からよく食べていた」メニューだけあって、愛情がひしひしと伝わってきます。
■これぞ大分のごちそう!圧巻の鶏天と生姜焼き、そして心暖まるだんご汁
今までに見たことがないほどに大きな皿に盛られた、鶏天としょうが焼の姿は圧巻の一言。その横には、懐かしさを感じさせるだんご汁。とにかく、すごいボリュームです。
まずは揚げたての鶏天を一口。カリッと軽快な衣から溢れだす肉汁。瑞々しくハリのある身が歯を押し返すたびに心地よくなります。
二つ目は大分スタイルで。辛子醤油をつけて頬張れば、軽くしっとりした衣と、ピリッと駆け抜ける辛さの刺激。あっさり系のおいしさから、しっかり系のおいしさに。ごはんに向けて一直線で突き進むしかありません!
お次は生姜焼き。頬張ってすぐに分かるのが豚肉の質の高さ。上品な甘さと切れ味いい脂身と、ギュッとエキスが閉じ込められた赤身。しょうがの効いたタレと一緒に口の中で一つになれば、この上なくパワフルなおいしさが!適度な厚みで食べやすいのも、ごはん向けの証拠。一緒に食べれば顔がほころびます。
そして、だんご汁。「お店で提供している味噌汁をベースにした」というお椀の中は麺状のだんごに野菜、豚肉と具だくさん。
昆布と鰹節の出汁が溶け込んだ汁を飲めば、やさしい旨みに舌も心も包まれて、生地をすするように口に運べば、「おっ!」と驚く唇に触れた瞬間の滑らかな食感と、押し返さんとするモチモチの弾力。汁の旨味と小麦の甘さを食べ進めていると、おばぁちゃんの家にいるかのような感覚になります。
一般の家庭で愛されてきた味と、お店が培ってきた技術の融合。これぞ歴史あるお店でしか味わえない贅沢です。
■不思議な屋号に込められた、強い思いとお客さんへのメッセージ
高尾屋食堂という屋号から、現在の屋号になったのは今から25年前のこと。『を』が入っていたり、読点がついていたりと、気になる点がたくさんあります。
「 『たかをや、』の『を』は印象に残るように、この字を充てたもので、読み方のアクセントもここを強調するんです」
そして読点が表すのは汗。「全力で作った料理を提供し、汗をかいて働く人に満足いただきたい」そんな意気込みが表れています。
「未来永劫この地で商売をしたいという気持ちは強いけど、難しく暖簾を継ぐことは考えていない。単純に守りたい。毎日きちんとやっていれば、たかをや、はしっかりと守られるはず。日々の積み重ねでいつの間にかこうなっていました。あとはみんなで仲良くやれば、お客さんは来てくれる。お客さんにも三代四代続く方がいるので、そういった関係が続けば最高です」
町で生活する方にとっては、たかをや、の料理は普段の生活に溶け込んだごちそう。そして旅行客にとってみれば、初めて体験するごちそう。四代目の子供たちの手で厨房が継がれることで、ごちそうを介したお客さんとの素敵な関係が続いてほしいものです。
【店舗情報】
創業年:大正9年(取材により確認)
住所:〒870-0035 大分県大分市中央町1丁目5番26号
電話番号:097-532-2369
営業時間:11:00~15:00/17:00〜20:30(オーダーストップ)
定休日:月曜日(祝日の場合は翌日休)
主なメニュー:一枚ロースのしょうが焼き&とり天(1,350円)/だんご汁&とり天セット(1,350円)/だんご汁(700円)/かつとじ丼(850円)
ウェブサイト:http://www.takaoya.com/
Facebook:https://www.facebook.com/Ko.ji.11.55/