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太平洋に面した環境が醸成した浜の文化と、横丁や先進的な公共施設が調和した中心街を持つ青森県八戸市。

この地に店を構える一軒の食堂。目を奪われるオレンジ色の外観と、赤い文字で『キクヤ食堂』と描かれた看板の組み合わせが鮮烈な印象を残す。

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暖簾をくぐった先には、こじんまりとしたテーブル席と座敷席。地元のお客さんが料理に舌鼓を打つ姿が目に入り、店内の窓越しにはJR八戸線が走る高架が見えた。

「今から14年前、それまで梁がなかった食堂の建物をリフォームしたんです。それで震災が来ても崩れなかったんですよ」

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こう話してくれたのは三代目の加藤信一さん。90年の歴史を刻む食堂の暖簾を守り続けている。

■ベーカリーから食堂へ。形と場所を変えて街に寄り添ってきた初代の想い

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食堂のルーツは八戸で生まれ育った初代の加藤信吉さんが、1930年に創業したキクヤベーカリーに遡る。

「屋号は八戸市の花である菊からつけたものなんです。函館の洋食店で修行していた信吉は、本家が八戸の中心街で醤油の醸造を手がけたり、本家筋もその周りで商売をしていた環境もあって、八戸に戻ってから中心街のデパートの一角にあった広場に店舗兼住宅を借りて始めました」

洋食店で培ったパン作りの技術を活かして始めたベーカリー。中心街でも人気だったが、太平洋戦争がその環境を大きく変化させた。

「戦時中、延焼防止として建物の間隔を設けるために店が取り壊しになってしまったんです。戦後は日本人相手の飲食店だと小麦粉などの食材が手に入らなかったこともあって、高館に進駐していた米軍の将校クラブでコックをしていました」 自分の城を手放さざるを得なくなった信吉さん。そんな姿を支えたのは奥さんのカヨさんと娘の雅子さんだった。

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「八戸で二番目に導入した」というソフトクリーム機を横に。

「戦時中にかかった病気がきっかけで寝たきりになってしまったんです。そこで、信吉の兄が薬店を営んでいたこの町に生活拠点を移して、おばあちゃんと母が生活のために食堂として再開しました。比較的簡単に作れるカツ丼やラーメンをはじめ、洋食もおばあちゃんが初代が作る姿を見ていたので提供できたんです」

その後、信吉さんは昭和33年に他界。修行先で培った技は厨房の中で受け継がれ、今も食堂の礎として生き続けている。

■産業賑わう小中野の活力となった食堂の味

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厨房で働くカヨさん。奥に大量に積み重なった器が当時の賑わいを伝える

「店を再開した当時、このあたりは化学工場や水産加工場が並ぶ工業地帯で、ウチもそこで働く人たち向けの食堂として人気でした」

店の最寄りとなるJR小中野駅から伸びる道は、工業地帯で操業していた企業名を取って『日東通り』と呼ばれ、「『工場街』なんていう名前の食堂もあった」ほどに、戦後の復興に向けて働く労働者とそれを支えるお店によって賑わいが絶えなかった。

そんな日本全体が活況を迎えるころ、戦前、米問屋を営んでいた家から婿入りしたのが二代目の勝雄さん。

「親父は工業高校に行っていたんですが、周りが『ウチの母と結婚しなさい』という流れを作って婿に入ったんです。親父は厨房仕事だけではなく配達もしていましたが、当時は高度成長期だったのでなんでもあり。お客さんからのリクエストで増えたメニューに対応するため厨房で働く人を雇ったり、高校生の子を配達のアルバイトに使ったり。とにかく忙しい時代だったそうです」

出前に使う手段が「自転車、カブ、軽のワンボックス」へと時代を象徴する乗り物に変化していったが、少しずつ町の姿も変化していった。

「今では工場や造船所の敷地も商業施設になってしまったり。町を往来する人の数は少しずつ減ってしまいましたね。私達が中学生だったころは、子供が立ち入れない場所としてダンプカーとかが往来していたんですが」

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そんな町の食堂を三代目として継いだ信一さんは現在59歳。

「高校を出てから専門学校で栄養学を学んで、そのあとは甲府の病院に調理師として入りました。実は私も親戚から『跡継ぎになれ』という声があって今に至るんです」

一度に200人分の給食を作っていた信一さん。「浴槽のような大きな器で料理を作ったりもして、料理を大量に作るオペレーションには慣れてるんです」という腕前と共に、現在は雅子さんと妹さんの3人で食堂を営んでいる。

■名物料理『豆腐フライ』が生まれた理由

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「メニューは多くても、少ない材料の組み合わせで生まれたものばかり。大衆食堂なので高い食材は眼中にないんです(笑)」

知恵と工夫が凝縮したメニューには、幅広いジャンルの料理がズラリ。中でも目を惹くのが『豆腐フライ』の文字。

「もともと食堂でトンカツを出していて、昭和40年代にはお弁当の配達も手がけていたんです。そんな中で ”お弁当のボリュームを出すために隣の隣にあった田村豆腐屋さんと相談して、豆腐を揚げてみないか?という話で、親父が作ったんです」

「豆腐は店の冷蔵庫に入ってなくて、ボウルを持って店に取りに行ってた」という環境とアイデアから副菜として誕生した一品は、瞬く間に人気となってメインディッシュに昇格。現在の看板料理となっている。

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『キクヤマガジン』と銘打ったメニューは、「妹さんの”こうした魅せ方がいいのでは?”」というアイデアから生まれたもの。

一方、創業当時からの人気メニューがキクヤラーメン。味のベースは料理が生まれたときと変わらない。

「煮干しと鶏ガラ。この出汁の組み合わせは絶対に変えない。あとは、香味野菜として玉ねぎとネギを加えるぐらい。とにかくシンプルなんです。
年寄りだったり若い方だったりと、好きな煮干しの味の濃さはそれぞれ。調味料の味が変われば煮干しの味自体も変わります。ただ、そうした流れがあってもみんなが好きな味の全体像とウチの味は一致するんです」

足し算が多ければ振り幅も強くなって、それだけ味がブレることもありうる。しかし、キクヤ食堂の味はシンプルな構成だからこそ普遍性を持つ。

「自分でスープを作るようになって20年ほどになりました。いろいろな要因で味も変わりうるんですが、今はちょうどいい感じになってますね」

信一さんが変えたのは「中細寄りの麺から細麺にしたこと」ぐらいだという。また「創業時からレシピを変えてない」というポークソテーも人気の一品。

「特にソースは、肉汁とウスターソース、ケチャップからその都度作っているのでフレッシュな味なんです」と聞けば、この3品を注文するしかない。

■30秒に凝縮された揚げの技術

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「豆腐フライには柔らかな木綿豆腐を、水分をしっかり抜いてから使います」

豆腐に塩コショウで下味をつけたら小麦粉をはたいて、溶き卵に絡めたらパン粉をつける。

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ここまではトンカツや魚フライづくりと同じ過程だが、崩れないようにするのがひと手間だ。

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「水分を抜いた状態で揚げるので油跳ねはしませんが難しいのは揚げ加減。あんまり長く揚げすぎると豆腐が爆発しちゃうんですよ」

衣が食欲をそそるキツネ色に染まるまで、片面30秒ほど揚げたところでクルッと返す。なので鍋から目を離すことは厳禁。さっと作ってパッと油から引き上げる。これが秘訣のようだ。

「この料理、私は『みなさんの家でもできますよ』って言うんですが、なかなか難しいみたいで」というのも当たり前のことで、長年の経験で培われた奥深さが凝縮されている。

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ポークソテーは厚いロース肉をしっかり叩いて筋を切るところから。こちらも塩とコショウで下味をつける。

「フライパンで蒸し焼きにすると柔らかくなるんですよ」と、表面に焦げ目がついたところでフライパンに日本酒を注ぐ。

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もちろん、フライパンに残った肉汁を余さず使うのが旨さの秘訣。ここにケチャップとウスターソースを加えてソースを作る。

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こちらはお店の歴史を支えてきた中華そばの麺。

「キクヤラーメンにはウチよりも古い、ここの製麺所の麺をずっと使っています。茹で上がりをよくするため、2日置いて麺から空気を抜くんです」

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大きな鍋で麺を茹でている間にも、厨房を包み込む煮干し出汁の香り。これだけで麺が啜れそうなほど圧倒的な濃度で鼻に届き食欲をそそる。

■豆腐フライのふわふわサクサクの食感が楽しすぎる!

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きつね色の衣に包まれた豆腐が、こんなに絶景だとは思わなかった。揚げたてを頬張れば、サクサクの衣の下にふんわりした歯ざわりと大豆のコク、そして甘さが詰まっている。

「下味が塩と胡椒だけなので、豆腐の甘さが際立つ」という味は、確かに誕生当時のコンセプトのとおりボリュームしっかり、だけど軽やかな食後感。

かつおぶしが振りかけられているので、冷奴に共通した風味を持つが、温奴ともちょっと違う。ソースや醤油をかけると味がガラッと変わるので、好みの味を探すのも楽しい。

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器に泳ぐ麺が透き通るキクヤラーメン。何より醤油ダレと一つになった煮干しの香りが強烈だ。なめらかでモチモチの細麺にスープがしっかり馴染み、啜り心地の良さにうっとりする。

ネギやメンマ、チャーシューといったシンプル具も主張が強すぎることなく、昔ながらのスープの味にフィット。ラーメンが持つ世界観を舌に伝える存在として欠かせない。

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お肉のサイズに心が弾むポークソテーを一切れ持てば、箸越しにお肉の柔らかさが伝わってくる。

酸味が効いたソースの懐かしい感じの味が、肉汁のコクや脂の甘さと一体になれば、ごはんが進む味に。

まるっと豚肉のおいしさが凝縮された一品には、歴史を乗り越えた風格とともに親しみやすさを感じる。

■自然体であれ。それが三代目が大切にしている考え方

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昭和の頃から今も使われている食器には、キクヤの文字がしっかり残る

食堂の三代目として、信一さんが大切にしている考えがある。

「歴史のことは極力考えず、自分にやれることは限られているので忠実にやっていこうと決めています。守っているものも時代に沿って変えるべきことは変える。気負わずにお客さんの反応を見ながら自然体で、これからもやっていきたいですね」

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そんな信一さんが出してくれたのが、いつもは店先に置いているというメニューの看板。そこには『裏メニュー』と書かれている。

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「母の弟が、昭和40年代から八戸にあるNHKの近くで喫茶店をやっていたんです。そこの定番がケチャップ系のナポリタン。それを再現したニューフェイスなメニューなんです」と笑顔で話す。

「娘が二人いるんですが、女性なので難しいかもしれないですね」と、跡継ぎについて話す信一さんだが、遊び心と共に厨房に立つ姿は今日も変わらず自然体だ。


【お店データ】
創業年:1930年(昭和5年/取材により確認)
住所:〒031-0802 青森県八戸市小中野4−2−1
電話番号:0178-22-0260
営業時間:11:00〜21:00 ※土曜日の14:00〜17:30は休憩時間
定休日:不定休(月1回程度) ※毎月第2水曜日は14:00〜半日休業
おすすめメニュー:
豆腐フライ(単品480円・定食760円)/キクヤラーメン(550円)/ポークソテー(単品820円・定食1,050円)
※店舗データは2019年3月27日時点のもの、料金は2020年6月7日時点のもの。料金には消費税が含まれています。

〒031-0802 青森県八戸市小中野4−2−1


プロフィール

百年食堂応援団/坂本貴秀
百年食堂応援団/坂本貴秀ローカルフードデザイナー
合同会社ソトヅケ代表社員/local-fooddesign代表。内閣府を退職後、ブランディング・マーケティング支援、商品開発・リニューアル、コンテンツ企画・撮影・執筆・編集等各種制作を手掛けている。