■参道の賑わいは、肥後の味と共に
熊本市内の中心街から車を走らせること約10分。
市内を流れる坪井川沿いに始まる参道の先に鎮座するのは、日本稲荷五社の一つに数えられる高橋稲荷神社。500年前に建てられ、商売繁盛に御利益があるとされています。
そんな参道を賑わせていたのが田楽。数百メートルの中で10店舗ほどが提供していたそうですが、現在は神社の大鳥居の前に店を構える、この田楽家を残すのみとなっています。
■門前で受け継がれる、小さな茶店の賑わい
創業は明治初期。問屋の二男として生まれた佐村権八さんが食べ物商売に興味を持ち、神社の門前に小さな茶店を開いたのがはじまり。
当時、神社を訪れていた信者から評判を博したことで、二代目を継いだ久七さんの時代には、当時の宮司の計らいで神社の境内に茶店を構えました。
「食器とかを納める木箱に『明治6年』と書かれていたので、明治10年ぐらいには境内で営業を始めていたかもしれません」
また、かつては材木を積んだ船が行き交っていた坪井川。船着場のあったこの一角は、船頭や問屋主で賑わう繁華街という顔も持ち合わせていました。
「場所をわきまえず大騒ぎをするお客さんも多く、茶屋の中で三味線や太鼓を叩いていた」ことで境内から追い出されてしまい、大正から昭和に時代が移り変わる頃、三代目として暖簾を継いだ久次郎さんが現在の場所に店を建てました。
現在、暖簾を守るのは五代目となる中山博文さん。それまでは東京でサラリーマンをしていましたが、熊本に戻ってから知り合った奥様と伯母様との3人で、田楽家の歴史と味を受け継いでいます。
「先代となる四代目の久夫さんに子供がいなかったので、自分が35、6歳の頃に『店を継がないか?』と話があったんです。自分にとって昔から馴染みの味だったこともあって引き受けて、それから修行を始めたんです」
■「田楽はシンプルだから難しい」
もちろん今も昔も名物料理は田楽。ただ、明治の頃とは違って定食の形で提供されています。
「定食にしたのは四代目の頃です。昔はもっとシンプルに田楽に吸い物、漬物とごはんの組み合わせでしたが、今は煮物、小鉢、酢の物を添えています」
一方、メニューに書かれたもう一つの料理『だご汁』も気になります。
「田楽だけでは食べ物の多様化が進む時代に対応できないので、自分の代からだご汁を出すようにしました」
だご汁といえば熊本の家庭に溶け込むおふくろの味。この地域ならではの食文化が味わえるこの機会、見逃すわけにいきません。
「馴染みのところに作ってもらってます」という木綿豆腐を拍子木状にカットし、余分な水を抜いたところで割れないように一本一本竹串に通します。
「あまり固くても食べ心地が良くなく、柔らかくても崩れてしまう。食感を引き出すのが難しいんです」
焼き上げる前の下ごしらえ。これが、田楽の食感を引き出すポイントです。
一方、田楽のもうひとつの主役・甘味噌。
「製法や調味料は昔のままで、樽で仕込んだ地元の麦味噌に『赤酒』と砂糖を加えて伸ばしています。冬は味噌が固くなってしまうので、味噌のすり鉢を湯煎してやわらかくしています」
火を入れた焼き台に並べて、長年の経験で培ったタイミングで一本ずつ裏返したら、愛用のハケで豆腐全体に味噌を塗ります。
「豆腐は少し焦がしたほうが、表面にしっかり味噌が絡むんです」という言葉のとおり、香ばしく焼かれた面で甘味噌と豆腐が一体になっていきます。
その間に豆腐の裏側が色づいたら再度裏返して、両面に味噌を塗ったら焼き台から上げます。
器に並べたら「理由はわからないのですが、昔からまぶしている」という青のりを振って。磯の香りを纏わせてできあがり。
「田楽はシンプルだから難しい」の一言に、この料理が持つ奥深さが凝縮されています。
そして、田楽を焼く間にだご汁の準備も進みます。
「だご汁の命は生地。なので昔から作り慣れている伯母が担当なんです」
まん丸の生地から一つ分のだんごが生まれる両手の動きを追っていると、まるで生地がベルトコンベアになったかのよう。一見『自分も同じ動きができるかも』と思えたのですが、鍋の中にだんごが増えていくごとに、いかに難しい所作かを本能が理解します。
■伝統を守り続ける田楽定食と、懐かしさに満ちただご汁
鮮やかな赤のお盆に、たくさんの料理が並びます。
竹串から割り箸で豆腐をスッと抜いて、熱々を口に運ぶのが田楽家の作法。深みある甘味噌の香りとコクが、焼いた豆腐の香ばしさと共に口の中に広がり、咀嚼して豆腐と混ざり合うたびに、素朴で力強いおいしさが満ち溢れてきます。
驚いたのが、この甘味噌とごはんとの相性の良さ。塩気のある味噌に馴染みがあるだけに、意外なおいしさに顔がほころびます。
そんな主役を囲むのが、干し筍の煮付けや「豆腐の端を使って作る」という手作りのがんもどきなど、ごはんとの相性抜群の副菜。これだけの数にもかかわらず、個々の味が混ざり合ってしまうことなく、バランスの取れた料理の数々に、静かに感嘆するしかありません。
その中でも目を奪われたのが、『お平(おひら)』と呼ばれるお吸い物。卵、ちくわ、かまぼこ、ほうれん草。透んだお汁の中に色鮮やかな具材が輝く姿に品格を感じます。
「当時、最高に健康にいいとされた具材を入れたもので、組み合わせは代々受け継がれてきたものなんです」
ちなみに、田楽はそのおいしさが通年で楽しめるタイプの料理ですが、『更においしい時季はあるのですか?』と訪ねてみると、「店の敷地内にある山椒の木から、木の芽が出てくる5月前後は、摘んだものを味噌に混ぜるので香りが立ちます」とのこと。味噌の香りの違い、食べ比べてみたいものです。
ちなみに、味噌好きなら絶対に使ってほしいのがこの木ヘラ。余すところなく甘味噌が堪能できます。
そしてもう一つの主役・だご汁。ふわっと立ち上るみつばの香りに導かれて一口飲めば、ごぼうやにんじん、しいたけといった野菜の甘さと鶏肉の出汁を、醤油味がまとめたおつゆに『おいしい!』と思わず声が出ます。
見た目に滑らかな団子を頬張れば、ムニッと心地よい弾力に歯は喜び、シャキシャキとした具との組み合わせがたまりません。
「おにぎりを添えた『だご汁定食』も提供しています」と奥様。飾らない家庭の味に出会える、これぞ旅の醍醐味です。
■町を見守り続けた象徴の再興に向けて
「今も三代目が建てた店の内装を変えながら、営業をしています」
大きな看板が目印の建物。外観からは被害が及んでないように見えますが、「4月の地震の影響で建物も壁が崩れてしまい、大広間は窓が開かない状態です」と語ります。それでも食べ物商売の使命を果たすべく、田楽家はいち早く再開にこぎつけました。
「5月1日に営業を再開したのですが、お客さん方に『よくぞ、こんなに早く始めてくれました』とお声がけいただいたんです」
そんなお店の次代を担う六代目についてお話を伺うと、「息子が3人いるのですが、多分、誰かしらが店を継いでくれるんじゃないかなぁと思っています」とのこと。
お店を後にして再び神社を訪れると、大きな鳥居の修繕工事が進む一方で、倒れたままの灯籠や崩れてしまった塀の姿が目に入ります。
肥後の地で育まれてきた田楽の文化を、見守り支えてきた町の象徴。
一日も早い再建を願います。
【お店情報】
創業年:明治10年ごろ(取材により確認)
住所:〒860-0067 熊本県熊本市西区城山大塘1-1-7
電話番号:096-329-8011
営業時間:11:30~14:30/17:30〜21:00(電話予約をするのが望ましい)
定休日:火曜日(祝日の場合は翌日)
主なメニュー:田楽定食(1,235円)/だご汁(875円)/あら煮定食(1,400円・前日までの予約)
※店舗データは2016年7月21日時点のもの、料金はすべて税込み。