■旅籠屋の賑わい、漁師のごちそう
小田原駅から小田原城に向かう道すがら、お堀端通り沿いに立つ一軒のおそば屋さん。店頭に無数の提灯が飾られた店の名前は「そば処橋本」。
創業は天保12〜13年頃。神奈川県旧橋本村(現在の相模原市南区橋本)に生まれた初代が、蕎麦の実を挽いて粉にする「挽売粉屋」と知り合って始めたそばの屋台がルーツ。働き者の人柄が生み出すそばの味は、武家から庶民まで多くの方から人気を博していきました。
やがて初代は小田原に根を張ることを決意。現在の宮小路松原神社の近くに店を構え、出身地から取った「蕎麦屋の橋本」をと名乗りました。
また、宿場町として賑わう小田原の中で、酒を提供し旅籠屋も兼ねていた橋本。建物の二階の大広間はいつも賑わいに包まれていました。
ちなみに当時、橋本も含めて旅籠屋に必ず置かれ販売されていたのが草鞋と提灯。今もお店のあちこちに飾られる小田原提灯は、店内だけではなく創業時からの歩みも優しく照らしています。
一方、幕末から明治、大正へと時代が移り変わる中で、小田原で盛んになったのが相模湾での近海漁業。多くの船頭は海の近くに住まいを構え、浜から10キロほど離れた沖で魚を大量に獲ると、海を覆わんばかりの数の旗を掲げていました。
『総旗(そうき)』と呼ばれる圧巻の景色を合図に始まる大漁祝いの準備。そこに欠かせなかったのが橋本のそば。海から戻ってきた漁師の身体を温める疲れを癒やす、最高のごちそうだったのです。
「当時は水平線の上に大量の旗がはためくのが見えてから、そばの注文を受けて岸に到着するまでの1時間で準備をしていたそうです」
こう語るのは、五代目の近藤忠之さん。旅籠屋を兼ねていた時代も含めて、小田原市内で店舗の場所を10回以上変えつつ、関東大震災や太平洋戦争による被害を乗り越えてきた暖簾を守ります。そんな忠之さんですが、若かりし頃の人生の選択肢に、『後継ぎ』の文字はあまり無かったそうです。
「小学校の頃には出前を手伝ったり、中学生の頃にはそばも寿司も作っていたり。昔から親父には『大学に行かずにそばの修行をしろ!』なんて言われたりも。そういう立場なんだと感じてはいましたが、お店には職人さんもいたので、店を継がずに大学に行って広告企画会社に勤めたかったんです。結局は、親父に引っ張られましたが」
こうして厨房に入った忠之さん。父親や職人の背中から技術や秘伝の味を学んでいきました。
「味の要になる『かえし』は、職人さんや親父から習ってきましたが、当時は『書くな。盗まれる可能性もある』と言われたものです」
■「老舗だからこそ、期待に応えなければならない」
腕を磨き五代目となった忠之さんが組み立てる、現在のお品書き。表紙に『小田原を味わう』と記され、当地ならではの味を堪能してもらおうという想いが入ったそこには、そばを中心としたセットメニューの写真が並びつつ、昔から受け継がれてきたシンプルなそばの姿も。
「私が小さい頃に店で出していたのは、『もり、かけ、たぬき、おかめ』でした。もちろん現在も提供していますが、今の時代はそれだけではダメなんです。イタリアンやフレンチからもヒントを得たり新しい食材も使いつつ、毎年50ほどのメニューを考えてます。ただ、なかなか商品には結びつきませんが」
伝統の味を守りつつ胡座をかくことなく、時代の流れに対応した料理も提供する。その根底にはお客さんを飽きさせず、期待に応えたいという気持ちがあります。
「昔から受け継がれるメニューと新しいメニューがあると、お客さんに喜んでいただけます。もし、新しい料理だけしかなく値段も高すぎたりすると、お客さんは離れてしまいますし。こうしたお客さんの期待に対して、老舗は応えられないことがあってはいけないんです」
そんな忠之さん、もちろん食材選びにも徹底的にこだわります。
「そば粉は北海道は幌加内の契約農家から仕入れていますが、かつおぶしは昔から小田原の浜近くで干している老舗から、桜海老は静岡県由比町の船主から、生のりは浜名湖の漁師から、野菜は三島の農家からと、店に近い産地から仕入れてるものが多いです」
おいしさと鮮度が両立した食材で作られるそばの数々。何を食べるか迷ったところでしたが、桜えび天ざると「小田原」の文字が目に留まった小田原おかめそばを注文しました。
こね鉢の中で踊るそば粉と水。熟練の技で生まれたそば玉が板の上に乗り、全身を使って麺棒で伸ばされる。愛用の包丁でリズムよく切られたそばの一本一本に、ピンと角が立っています。大釜で泳いだ後に冷たい水で引き締められたそばの姿。そこには遠目にも張りの良さを感じます。
その傍らにある天ぷら鍋には、桜えびがたっぷり入った生地が注がれ、パチパチ弾ける音と共に、桜えびが食欲をそそる色合いに変化し、その大きさもすごいことになってきました。
打ちたて茹でたて揚げたての仕事、早速いただきます。
■海の恵みがぎっしり!驚愕の桜えびかき揚げと、小田原おかめそば
つけ汁につけて、ススッと啜れば立ち上る粉の香り。舌に触れる出汁とかえしがしっかり溶け合ったつゆの味の印象を強く受け止めつつ、引き締まったそばの歯ざわりに心地よさを感じて、のどごしよく胃袋にストンと誘う。ここには、そばの醍醐味が全て詰まっています。
そして、アツアツのかき揚げ。間近にするとその大きさに驚かされます。でも、忠之さんは茶目っ気のある笑顔で「野菜と海老のかき揚げは、もっと大きいんですよ」と。
箸で一口大にして天つゆに浸して頬張った瞬間に、桜えびの圧倒的な甘さと共に、口の中が相模湾に早変わり。添えられた生のりの豊かな香りもこの地ならではの薬味。環境と技術が融合しているからこそ、海の幸が大胆なスタイルで楽しめます。
一方、大きな器にたっぷり入った小田原おかめそば。熱々のおつゆの湯気から広がる出汁の香り、そばを啜れば箸越しに伝わる二八そばのハリ。おつゆに浸ってもなおコシが強いので、啜り甲斐もあるってものです。
もちろん、器を飾るかまぼこやつみれは地元小田原産。にじみ出る魚の風味に笑顔が生まれつつ、静岡産の野菜のシャキシャキとした口当たりと瑞々しさに、海と大地の幸が一度に楽しめる喜びを感じます。
少しずつ温度が下がって飲みやすくなったつゆを飲むと、締めくくりに広がるのはゆずの香り。海風のように爽やかな余韻を残します。
■『よくぞ そば屋に生まれけり』
橋本には五代目が作った営業理念があります。
『基本の味を代々しっかり守っていく事』『お客様の喜ぶお顔を見る事を誇りに思う事』など、日々の営みに揺らぎがないように、五代目が作ったものです。その中にあるお店の座右の銘は『よくぞ そば屋に生まれけり』。
「一食をお客様に召し上がっていただき、お金をもらった上に『ごちそうさま』と言ってもらい、更に『美味しかったよ』とほめてもらう。2度3度とご来店いただき、知人の方にもご紹介いただき、その方にもまた『美味しかったわ』とお褒めてもらう。これほど嬉しいことはありません」
そんな橋本の六代目候補は息子さん。
「4年ぐらい前から土日にそば打ちを手伝ってくれてます。継がせることになるとしても、技術を身につけて、しっかりと経営する上での土台を作ってからですね」
今はまだ土台づくりの途中ですが、六代目には提灯の明かりと共に座右の銘が受け継がれてほしいものです。
【お店情報】
創業年:天保12〜13年(取材により確認)
住所:〒250-0011 神奈川県小田原市栄町1-13-37
電話番号:0465-22-5541
営業時間:11:00~19:00(水・日・祝は11:00〜18:00)
定休日:無休(年1、2回の臨時休業あり)
主なメニュー:桜えび天ざる(1,450円)/小田原おかめそば(950円)/かき揚げ天ざる(1,300円)/ミニ鯵丼とざるそば(1,250円)
ウェブサイト:http://www.sobahashimoto.com/
facebook:https://www.facebook.com/soba.hashimoto
※店舗データは2016年7月21日時点のもの、料金はすべて税込み。