愛知県名古屋市「玉屋」

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高層ビル立ち並ぶ名古屋駅から地下鉄で揺られること十数分。

かつて市電が走っていた通り沿いの覚王山駅から少し歩くと、見えてきたのは駅名の由来となった覚王山日泰寺の堂々たる姿。

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日本で唯一どの宗派にも属さない寺院は昔も今も町のシンボル。そして、その参道入口に店を構えるもう一つの町のシンボルが「玉屋」です。

看板に記された名代・うどんの文字や、店頭に掲げられた麺類食堂のサインに感じるのは、町の移り変わりを古くから見つめてきた静かな誇り。

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店内に入れば懐かしき空間の中に広がるテーブル席と小上がり席。特に小上がりは腰を落ち着けて食べたい方にはうってつけ。一つ一つの席に刻まれた物語を、ついつい想像したくなります。

■賑わう参道を包み込む饅頭の香りとうどんの味

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そんな食堂のお話を聞かせてくれたのは、二代目の齊藤美奈子さんと三代目の齊藤千壽子さん。お店を支えてきた二人の看板娘に貴重なお話を伺いました。

玉屋のルーツはお饅頭屋さん。初代の齊藤文次郎さん・つるさん夫妻が、今と変わらないこの場所で創業したのは大正2年のこと。

「初代が長屋が並ぶこの参道沿いで店をやろうと決めた理由はわからないけど、当時のこの辺りには日泰寺と山しかなかった時代。今でもたまに見かけるんですが、山から降りてきたイタチやタヌキが出るような場所だったんです」

日泰寺の和尚さんが命名した玉屋の屋号と共に、参道を包む甘い香りで参拝客の疲れを癒やした後、「お年寄りの参拝客がゆっくり休めるように」との思いで、創業5年目を区切りにうどん屋さんに模様替え。

「このあたりにはうどんを打つ職人さんがいなかった」という当時、山形から連れてきた職人さんが打つうどんが参道の顔になるまでに、そう長い時間はかかりませんでした。いつの時代も立地が重要とされる飲食店。初代にはそんな先見の明があったのかもしれません。

二代目の美奈子さんが終戦後にお店に入った頃は、食堂ではうどんの他に丼ものも提供。当時、全国的に食堂で主流だった玉子丼は今もメニューに並び、ベテランらしい存在感を放っています。

戦後の繁盛期を幼い日から見つめてきた隆敏さんは三人きょうだいの真ん中。お見合いで知り合った美奈子さんと共に三代目として食堂を継承。「食堂で働いたことなんてないから無我夢中だった」という美奈子さんですが、幼稚園の先生だった経験を活かした接客でお店の看板娘に。

多い時には三代揃い踏みで営まれていた食堂ですが、二代で暖簾を守ってきたある日、美奈子さんが手術をすることに。厨房も接客も一子相伝、家族経営の玉屋にとって働き手が一人減ることは大きな問題でした。

そんな状況に立ち上がったのが、サラリーマンをしていた息子の拓哉さん。奥様の鮎実さんと共に四代目として店を継ぎ今日に至ります。

■なんとごはん二合分!盛りっぷりの良さは初代の粋

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「昔からこうして紙に書いたものを貼ってたんですよ」

年季の入った木壁に無数に貼られた達筆の文字。うどんをはじめとした麺類に始まり、丼物や定食類のラインナップがズラリと並びます。

一ヶ月ぐらい滞在して日めくりカレンダーをめくるかのように、全部の料理を食べたいところですがそうもいかず、千壽子さんにオススメを伺うと帰ってきたのは「かつ丼」の言葉。

「カツ丼を始めたのは昭和42~3年ごろ。初代が考案したもので、当時はいつも地元のお肉屋さんに豚肉を持ってきてもらってたんですよ」

町の食堂の仕入れは近くのお店からが当たり前。信頼のおける仕入先とのコンビネーションで生まれたかつ丼ですが、他のお店と違うのが圧倒的なごはんの量。

「この辺りは名古屋大学や愛知学園大学などのキャンパスが近いこともあって、参道周辺に下宿が多かったんです。初代はそこに住む学生さんに『お腹いっぱいになってほしい』という気持ちで、大盛りのかつ丼には、丼いっぱい2合分のごはんを盛っていたんです」

昭和45年ごろから始まったという盛りっぷりの良さは、大学の体育会系の学生を中心に大人気。

「ただ、最初はごはんの上に乗せていたカツが落ちてしまうことも多かったんです。そこで三代目が丼ごはんとかつ皿に分ける今の大盛りかつ丼を考案して、今もそのスタイルのままでお出ししています。平成5年に起こった米不足のような時期もありましたが、ウチのお客さんは敏感だったので量は減らせなかったですね」

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※ちなみに定食と丼物のご飯の量は、大盛・中盛・小盛・小小盛の四段階。「小小盛がごはん茶碗1杯分」とのことです。

食堂を続ける上でお米の値段は死活問題。それでも玉屋はお客さん第一のスタンスを崩すことはありませんでした。ちなみに「天丼や他の丼も、大盛りの時は基本的に具とご飯を分けてます」とのこと。

昔と変わらない圧巻の眺めはぜひご自身で確認をいただくとして、そんなエピソードを聞けばかつ丼を注文するのは必須。そこに、ルーツたるうどんの中からあんかけうどん。そして中華そばを注文。この日は二人で取材したのですが、果たして食べ切れるでしょうか…?

■玉屋の味を支えるのは、鰹出汁と地元の調味料

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厨房の一角には仕事の証・大量の鰹節。鍋を満たす琥珀色の出汁が食堂のおいしさを支えています。

「味の要は鰹節の出汁。厚切りの鰹節だけをしっかり煮込んで昆布を使わないのがウチのやり方なんです」

昔からこの鰹節は地元の問屋から仕入れているそうですが、「醤油や味噌、たまりといった調味料も地元の醸造元が作ったものを使い続けている」という玉屋。地産地消なんて言葉が生まれるずっと前から、地元の味を大切にしています。

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そんな調味料を駆使し、想いを込めた料理をコンビネーションよく作る隆敏さんと拓哉さん。

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ズラリと並ぶガス台の上では、きつね色に染まった分厚いとんかつが鰹出汁の効いた煮汁に浸され、その手前ではあんかけうどん用のおつゆがグツグツと。迷いのない手際の良さに見とれてしまいます。

■威風堂々としたかつ丼と艷やかなあんかけうどん、そして澄み切った中華そば

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分厚いカツ丼に蓋は無用。そう言わんばかりのボリュームは普通盛りとはいえ圧倒的。

すりきり一杯に近いごはんの量、果たして食べ切れるだろうか…と少しだけ不安になったのですが、食後感は「まだいける!」というものでした。

分厚いカツにしっかり染みた煮汁から広がる圧倒的な鰹の香り。一口頬張れば厚めの衣に染みた甘い煮汁がじゅわっと広がり、肉のエキスと一つになってごはんを招き入れます。

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やっぱり出汁がしっかり効いていることが大きく、極端に言えば香りだけでご飯が進む。脳を優しく刺激しながら食欲を高めてくれるので、茶色い煮汁色が染み込むごはんは着実に減っていきます。

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そんなかつ丼を頬張っているところに運ばれてきたあんかけうどん。赤たまり(醤油)が溶け込む艷やかな餡の色に目を奪われ、滑らかに舌を走るうどん越しに感じる出汁の旨味が心地いいんです。

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うっすらと見える具も盛りだくさん。しいたけを始め、名古屋かまぼこや花麩といった古き良き時代の名古屋の麺類に欠かせない具に歴史を感じます。

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タレに白たまりを使った中華そば、中細麺がしっかりと見える、いわば美白仕立て。啜ろうと箸を動かせば出汁の香りに目の前は包まれて、旨味を感じながら舌走りやのどごしの良さに箸が止まりません。

こちらも器に入った具材には名古屋かまぼこ、花麩、そしてハムの三点セット。「昭和25年ごろには中華そばは既に定番の一品で、昔からのままで出しているんです」とのこと。メンマや豚肉も彩る一杯が550円というのは嬉しすぎます!  誰もが完つゆ間違いなし。そんな安心できる中華そばの存在ってありがたいものですよね。

■背中を見つめる次世代が、確かな仕事の担い手となる

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「長い年月に渡って食堂を経営してきましたが、お客さんに恵まれたこともあって、私たちには大きな経営の危機といったものは一切ありませんでした。むしろ、これからに対して危機感を覚えています。商売は最低でも3~4人必要ですが、私達が引退したその先、果たして二人でやっていけるのだろうか?と」

千壽子さんが考えているのは未来のこと。自身が食堂に嫁いだこともあってか、特に鮎実さんには昔の自分を重ね合わせることも多いのかもしれません。

それでも「嫁いだ環境も違いますし、自分がやってきたことと違うのでダメそうなら辞めればいいと思っています。だけど四代目は『俺は四代目としてしっかり守って、子供に五代目を継がせたい!』と張り切ってるんですよ」と、この食堂には大きな希望がしっかりと根づいています。

四代に渡って家族で味を守ってきた名食堂。町の宝玉としていつまでも輝き続けてほしい。鰹出汁の香りがずっと参道を包み込んでほしい。時代が変化することで色々な危機に直面することもあるかもしれませんが、心からそう願わずにいられません。


玉屋
創業年:大正2年(取材により確認)
住所:〒464-0064 愛知県名古屋市千種区山門町2-47
電話番号:052-751-5512
営業時間:11:30~14:00/17:00~20:20
定休日:日曜日
おすすめメニュー:
かつ丼(750円)/カツ丼定食(1,000円)あんかけうどん(550円)/中華そば(550円)
※店舗データは2018年7月27日時点のもの、料金には消費税が含まれています。

〒464-0064 愛知県名古屋市千種区山門町2-47



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