■三角地に立つ食堂で産声をあげた、会津の中華そば
戦前、会津若松の市内外から買い物客が訪れていた繁華街。かつて融通寺町通りと呼ばれ、現在は本町通りと呼ばれる道路に面した三角形の土地。
三本の道路に囲まれた場所で産声をあげた一軒の食堂は、「坂本屋」の屋号を掲げていたものの、お客さんから「三角屋」と呼ばれるように。いつしか店の顔たる暖簾の文字も、この愛称を自認するようになりました。
■食糧難と外食券指定制度の波を乗り越えて
名物「中華そば」の文字と共に、店頭の暖簾に書かれる「外食券指定食堂」の文字。
第二次世界大戦中の食糧難に端を発して生まれたこの制度。家で食事をしない人に対し配布された「外食券」を指定食堂に持参すると、食事ができたというもの。終戦後も続いた食糧危機によって他の食堂が次々と店を畳む中、指定食堂だった三角屋は大波を乗り越えて今日に至ります。
■井戸掘り職人の人生を変えた、横浜での出会い
現在、お店の暖簾を守るのは三代目の西田一彦さん。毎日朝4時から仕込みを始めて、暖簾と味を守り続けています。
お店が生まれたのは、時を遡ること明治45年の頃。初代は、当時井戸掘り職人だった横井留吉さん。工事のために職人を引き連れて全国を回っていたとき、立ち寄った横浜で食べた中華そばに一目惚れ。味の記憶と共に会津若松に戻り、この地に食堂を開業しました。
創業当時、中華そば自体が町に馴染みのない存在。加えて豚肉で出汁を取る料理ということで、興味本位で食堂を訪れた人が注文しても、食べずに器の中に入った麺とスープを眺めるだけということも。
最初は日に2、3杯しか売れなかったという中華そば。ですが、辛抱強く提供し続けたことで、少しずつお客さんに受け入れられ始めました。
店の前に並ぶ木材を運搬する馬車がお店の前に並ぶ。当時繁華街だったこの通りを走るバスも、食堂で食べ終わるお客さんを待ったり、お客さんがバスの中に持ち込んだラーメンの丼を返したり。
「昔は従業員が13人ぐらいいて、朝の10時から夜の12時までお店を開けてたんだよ」
物流手段の発展に伴う生活様式が変化する中、三角屋の中華そばは欠かせない存在でした。
現在は近所のお客さんだけではなく、かつて界隈に住んでいた人が昔を懐かしんで暖簾をくぐったり、三角屋で修行をした後に会津界隈に店を構えた方も多いことから、会津若松のラーメンの礎と呼ばれる味に会うために、県外から訪れるお客さんも多いそうです。
その後、留吉さんの娘さんと結婚した西田姓の旦那さんが、高齢だった留吉さんが二代目を継ぎ、高校時代から出前を手伝い、「修行はしなかった。他の店の料理がどうしても肌に合わなかった」という舌の本能に従って、親の作り方をそっくりそのまま会得したという一彦さんに継がれました。
■中華そばか?ソースカツ丼か?は、問題ではありませんでした
そんな食堂のメニューには、厳選された料理名が筆で記されています。
中華そばの前に名を連ねるカツ丼は、「終戦後、ご飯を販売してもいいというお触れが出たので、昭和23年頃に出していた記憶がある」というもの。
(ソース)とわざわざ書かれているのが地域のアイデンティティです。
他にも、中華そばの横にある冷し中華そばに添えられた「マヨネーズ味」のトッピングも気になるところですが、やはり基本の二品を食べたいところ。あとは、どちらか片方を食べるべきか、両方食べるべきか。
「うちは、ラーメンとカツ丼の組み合わせのお客さんが多くて、カツ丼と半ライスと中華そばなんてお客さんもいるんだよ」
考えるまでもなく、答えは一つでした。
■澄み切ったスープの中華そばと、圧倒的迫力のソースカツ丼
運ばれてきたラーメンの器を見れば、スープにはただの一滴も脂が浮いてません。豚肉をベースに鯖節や鯵節の魚介出汁が、表面滑らかな麺に絡んで柔らかに溶け込んでいます。
モチモチとした食感の麺を咀嚼すると、決して派手ではない旨味が少しずつ口の中を染め上げていきます。たとえ体内時計が午前11時の開店を迎える前のコンディションであっても、この味はまるでお茶漬けのように、身体に静かに浸透していく。そんな感じです。
そして、ソースカツ丼は圧倒的な迫力。一列に収まらないカツが丼の端を埋める姿に感嘆するしかありません。
「食感を重視して衣を薄くしている」という、軽くソース色に染まった衣はサクサクと軽快な音を奏で、ジューシーな豚肉からほとばしるエキスには心意気を感じます。ぐしゅぐしゅと肉を食べて、キャベツと共にごはんを頬張るほどに、器の中身がお腹を満たす一方で、心を満たしてくれる小さな中華そば。
「最初はスープを提供してたけど、『麺が入ったほうがおいしい』って、みんな喜んでくれる」ということで今のスタイルに。醤油加減を調整しスープとして飲みやすい味の濃さにアレンジ。一品頼んで二つのおいしい経験ができるありがたいサービスです。
■「もっと続けたい」そんな強い意志と共に
現在、一彦さんと共に厨房に立つのは四代目の弘一さん。考古学の道を志していたこともありましたが、高校を卒業して直ぐに厨房に入り、もう30年になります。
朝早くから始まり夜遅くまで続く一日の長さを知る一彦さんは 「苦労をさせたくない」と、自分の代で幕を下ろすことも考えていましたが、弘一さんの「もっと続けたい」という強い意志を受けて、今日までお店は歩み続けています。
「一人でもできるんだけど、親としてまだまだ伝えたいことがあるんだ」
父と共に大釜で麺を茹でたり、分厚いカツを揚げたり。福島の中華そばの起点となった食堂は、会津若松そして福島県の食文化史の一ページに欠かせません。
【お店情報】
創業年:明治45年ごろ(取材により確認)
住所:〒965-0862 福島県会津若松市本町3-6
電話番号:0242-27-1758
営業時間:11:00~15:00
定休日:火曜日
主なメニュー:中華そば(650円)/ソースかつ丼(1,100円)/チャーシューメン(900円)/冷やし中華(800円)
※店舗データは2016年4月8日時点のもの、料金はすべて税込み。