兵庫県神戸市東灘区御影石町。
花崗岩の産地・六甲山の上流から注がれる石屋川沿いに、御影公会堂が開館したのは昭和8年のこと。神戸ゆかりの建築家・清水栄二が設計したモダンな外観や内装には、当時の建築技術の粋が結集していました。
敬老会の集まりや新生活の門出を祝う結婚式場として使われていた会館の地下、階段の先に見えてきたのは小さな扉と趣のあるショーケース。
ガラス越しにキラキラと輝く洋食メニューの数々が、心を昭和時代にタイムスリップ。ここが開館から今日まで約90年間に渡り、営業を続けてきた御影公会堂食堂です。
扉の先で迎えてくれたのは、清水栄二が当時手がけたままの姿で残る木製の間仕切りを始めとした重厚な調度品、大きなアールのある窓から降り注がれる太陽の柔らかな光、そして優しい「いらっしゃいませ」の声。
現在、食堂の看板を受け継ぐのは鈴木眞紀子さん。初代の祖父・鈴木貞(てい)さんから数えて三代目、料理へのこだわりや食堂を取り巻く環境の変化について、色々とお話を伺いました。
■ホテルのクオリティを幅広い層のお客さんに
「開館当時、大きな建物を作ると地下を食堂にするのが定番で、祖父はここを借りて食堂を始めたんです」
名古屋出身の貞さん。長男でしたが家業を継がずに単身で大阪へ。大阪ホテル(現在のリーガロイヤルホテル)で料理修行を始めて、バンケット部門の総責任者になるまで勤め上げ、仕事で神戸を訪れた際に清水さんと出会ったのが食堂誕生のきっかけでした。
「公会堂と一緒に食堂を作ったのは、ここを結婚式場に使うためでもあったんです。祖父はホテル時代に披露宴の料理を全て手がけ、バンケットのノウハウを持っていた。しかも、それが洋食だったのでテーブルマナーも理解していた。そうした点もあって抜擢されたのでは思います」
洋食がハイカラだったこの時代。この町に暮らすお医者さんや酒造業の方がここを訪れ、ステーキやハヤシライスを食べていましたが「ここは公民館のような場所なので、祖父は価格を下げてもこうした料理を提供したかったんです」という思いもあり、当時から幅広い客層に愛されていました。
■食堂を支えてきた生涯現役の精神
公会堂開館の一年前、昭和7年に卓さんの長男として産声を上げたのが利裕さん。写真家の夢を持っていた若かりし頃、上京して大学の写真学科で学びつつも、「長男ということもあって『食堂を継がなあかん』という気持ちを心の端々に持っていた」そうです。
「親子の意地もあって『帰ってこい』とは言いづらかったはず」という父の気持ちを汲んで、利裕さんは後を継ぐことを決意。食堂の厨房で料理を学んだ二代目は、「声が大きくごはんもしっかり食べて、睡眠時間が3〜4時間程度でもとにかく元気だった」というバイタリティで、80才を越えるまで生涯現役で厨房に立ち続けていました。
阪神淡路大震災の前年、大病を患った利裕さんに代わって厨房を切り盛りしたのが、3人の子供のうち音楽学校を卒業後にピアノ教師をしていた眞紀子さん。当時は「父と母のお店だから」と食堂に行くことは少なかったそうですが、「姉には小さい子供がいて弟は就職したて。動けるのが私だけだった」ということで、厨房の料理人と共に料理を作り続けました。
■私の使命は仕事を受け継ぐこと
「祖父と父が作ってきた味や雰囲気を変えないことが、私の使命だと思っています」
そんな眞紀子さん手がける料理の特長は、初代から受け継がれる丁寧な仕事。特にこだわりを持つのが味の要となるソースづくり。
「レシピは先代が作ったもので、デミグラスソースは牛骨、鶏ガラ、牛すじ肉、香味野菜を使って10日かけて作っています。オムライスにかけるトマトソースも丸一日かかりますね。ホールトマトとピューレをベースに、ワインや玉ねぎとかを直火でグツグツ。焦げないように炊いてます」
今の人気メニューは、オムライス、オムハヤシ、そして黒毛和牛のビフカツ。
「一番よく出るオムライスは、元々は裏メニューだったんです。創業時から単品で出していたオムレツとチキンライスを組み合わせて、お子様向けにリクエストがあった時に出していたもの。それが段々と市民権を得てきてメニューとして出すようになったんです。
これをベースに震災後に始めたのがオムハヤシ。オムライスにデミグラスソースをかけるお店が増えてきて、『茶色のソースをかけたほうがいいのかなぁ?』って考えて、ハヤシライスの味を知ってもらう意味もあってソースをかけることにしたんです」
言うまでもなく、ハヤシライスはデミグラスが美味しくてこその料理。「以前、近所の常連さんにハヤシライスを勧めたときに『どこで食べても美味しいと思わなかった』と言われたので、試しに食べませんか?と言ったら『めっちゃ美味しい!』って喜んでもらえたんです」と、笑顔で勧められた自慢の味。こうなれば、3つともいただくしかありません。
お話を伺っている時の優しい笑顔から一変、厨房に立つと空気がピリッと引き締まり料理人の顔に。
「オムライスを作る時に重要なのはスピード」と語る眞紀子さん。強火のフライパンで鶏肉、マッシュルーム、タマネギをソテーしてチキンライスを作り、溶き卵を手早くフライパンへ。ササッとかき混ぜ表面が固まり内側トロリのところでチキンライスを投入。絶妙のタイミングで包まれた姿はため息が出る程の美しさ。皿の傍らに注がれるトマトソースの香りが、食欲を掻き立てます。
■素材の良さと技が凝縮!これぞ絶品・神戸の洋食!!
赤と黄色のコントラスト、艷やかな卵の表面。この上品な佇まいがご馳走の証。
トマトソースのポタッと残る果肉感の中に活きる、スッキリと青々しいトマトの香り。「しっかりと濃い目のトマトケチャップを使っている」というチキンライスの、米粒にしっかりと絡んだ甘く懐かしい味には、玉ねぎの力が遺憾なく発揮されています。
双方を際立てつつも互いの個性を残す絶妙なバランス。ふんわりとした口当たりの卵が紡ぐ二つのトマトの味が、口の中で一つに結ばれた瞬間は驚くしかありません。
お次はハヤシライス。銀色のポットからソースを注ぐと、艷やかな色合いから豊かな香りが立ち上ります。
「父の代からなんです」という具だくさんぶりに驚きながら一口食べると、シャキシャキとした歯ざわりの先に、淡路島産タマネギの甘さと牛肉の旨味が。噛むほどに溢れ出しソース全体にも溶け込む瑞々しい甘さに心が喜びます。
「お年を召したお客さんも、ウチのオムライスやハヤシライスは残さずにお召し上がりいただけるんです」という一言は、年齢を問わずソースの美味しさに食欲が沸き立つからなんだと納得です。
黒毛和牛のビフカツの姿を見て驚きました。「注文を受けてから1枚ずつ切り分けて揚げている」という内モモ肉は厚さは1センチほど。
口の中で最初に広がるのは、野菜の深いコクとほのかな赤ワインの酸味。そこから少しずつ顔を覗かせる動物のエキスが絡んだ、柔らかな赤身肉の心地よい食感から、じんわりと溢れ出す肉香と旨味。
粗めのパン粉のさっくりした歯ざわりとの組み合わせを、ドミグラスベースのソースが綺麗にまとめあげ、三つの存在感が損なわれることなく、バランスよく構築された名品です。
そして、これらの料理の満足感を更に高めるのが、セットについてくるスープ。
「皮を剥いた完熟カボチャとニンジン、セロリ、ベーコン。あとは淡路玉ねぎ」の甘みや旨味がしっかり溶け込み、素材の顔がくっきり。この上なく優しく、そして驚きを覚える美味しさです。
■開業から今日まで、四度の危機を乗り越えて
「父は食堂で死ぬべき人間だと思っていたんですが、本当に厨房で倒れてしまい4日後に亡くなってしまったんです。最初、私の役割は終わりかと思ったのですが、20年以上やり続けてきて受け継いできたものが固まっていて、どうしようと思っていました。父のためにやっていたことが無くなってしまうと、生き方に迷ったこともあったんです」
2015年の秋に利裕さんが他界。また、2016年に会館のリニューアルに伴って一年以上に渡る長期休業が決まり、食堂の未来と向き合う時間が長くなりました。
「リニューアルの時にお店を辞めることも考えていたのですが、私がやめるということは、人手に渡るか全然違う形になるということ。そう思ったら、やめるのはあかんなぁと思いました。昔から来ていたお客さんからも『やめないで』『いつ再開するの?』と言われれて、自分はがんばったほうがいいのかなぁと」
阪神大水害、太平洋戦争、そして阪神淡路大震災。幾多の災害や戦争に直面しても耐え抜いてきた食堂の味が、一時は途絶えてしまう可能性がありましたが、支えてくれたのは常連のお客さんと、お店に展示されている昔のメニューや写真の数々。
「最後は、祖父から続くお店に対する意思を私が絶やすわけにいかないと決めたんです。でも、私には子供がいないので四代目はどうしようという気持ちもあるんです。『跡継ぎどうするの?』と聞かれるんですが、まずは100年までは頑張ろうと思っています」
今もお昼時には地元のご婦人をはじめ「ここで結婚式を挙げた方がお孫さんを連れてきてくれるんですよ」と、賑わいが絶えないこの空間。100年の歴史を刻む瞬間まで、眞紀子さんは受け継がれてきたレシピでソースを作り続けています。
【店舗情報】
創業年:昭和6年(取材により確認)
住所:〒658-0045 兵庫県神戸市東灘区御影石町4-4-1
電話番号:078-851-2959
営業時間:11:00~14:00(ラストオーダー)
定休日:火曜日
主なメニュー:オムライス(820円)/ハヤシライス(970円)/ビーフカレー(850円)/黒毛和牛のビフカツセット(1,850円)
※店舗情報は2020年6月7日時点のもの、料金には消費税が含まれています。