栃木県足利市『北清軒(ホクシンケン)食堂』のハンバーグとショウガ焼肉、そして原点のラーメン

LINEで送る
Pocket

北関東3県に渡って流れる渡良瀬川。ここにかかるのは森高千里の曲でもおなじみの渡良瀬橋。

そのたもとからすぐに建つ一軒のお店。『おいしい ハンバーグ ショウガ焼肉』と書かれた青いテントが目印のここが、足利市の百年食堂・北清軒(ホクシンケン)食堂だ。

店内に入ると、おっ!と思わず目を惹く手書きのメニュー。味わい深き色に染まったこちらは「昭和初期に書かれたものをずっと使っているんです」とのこと。

大正8年の創業から数えて、今年で創業百年を迎えた街の老舗。その味へのこだわりやお店の歩みを、三代目として受け継ぐ渡邉善弘さんと秀子さんご夫妻に伺った。

■百年の道を決めた、横浜でのラーメンとの出会い

※前列左から2人目が初代の良助さん。

食堂を創業したのは、埼玉県羽生市の農家に生まれた渡邉良助さんと、同じく羽生市に生まれた奥様のますさん。浅草の地で二人が始めた日本そば店がルーツだ。

「そばといっても江戸そばのような洗練されたものではなく、昔から家で食べていたような感じのそばを売っていたそうです」

ところが浅草の景気が少しずつ落ち込んでいると感じ、横浜に店を移すことを決めた良助さん。ここで一人の中国人と出会ったことが、現在まで北清軒食堂が営みを続ける礎となった。

「横浜でラーメンを出していた中国人と知り合って作り方を教わったんです。それがお客さんに好評だったこともあって、周りから景気がいいと聞いていた台湾でお店をやることになったんです」

当時、入植地だった台湾に渡ってラーメンを中心とした食堂を開いた良助さん。営業も軌道に乗って順調な毎日を送っていたが、「あまりの夏の暑さに負けてしまった」という理由で日本へ戻ることに。

ところが、そこで判明したのが「台湾での売上から『日本に戻ったときに店を出せるように』と、おじいちゃんが親に仕送りしていたお金の大半が残っていなかったんです」という事実。

まさかの事態に直面した結果、最終的には親が移り住んだ足利市に戻った良助さん。両毛線の駅前にラーメン屋台を出して再スタート。まだ珍しい存在だった一杯が街に溶け込み、商売としての土台が固まった1919年。場所を足利駅前に移して、昔馴染みの客がつけた「北清軒」の屋号とともに店舗を構えた。

※北清軒開店当時の写真。屋号の下には「食堂」の文字とともに“CAFUE”と記されている。

ただし、それは意外にもラーメンの専門店や中華料理店ではなくカフェだった。

「じいちゃん、ハイカラだったんですよね。当時珍しかった『西洋料理』を打ち出して、洋食を作れる料理人さんを雇ってトンカツとかを出していたんです。そこで自分でも作り方を覚えていったのが、今もラーメンだけじゃなく洋食を出しているきっかけですね」

関東大震災の際には東京からの引揚者で溢れていたという足利駅前で、北清軒の洋食は人々の心と胃袋を満たしてきた。

■足利の味、その背景に

こうして、場所と業態を幾度となく変えてきたお店が、現在の足利に食堂として腰を落ち着けたのは昭和8年のこと。

「前の店があった場所に疎開道路を作ることになって、ここに移転したんです。当時から周りには市役所や電力会社、警察、郵便局といった公共機関が多く、店に来るよりも出前がほとんど。学校関係から『チャーハンを40食届けてくれ』なんて注文もあったんですよ」

かつて食堂の周りには「映画館もたくさんあって、昔は学校の先生が生徒を引率して映画を見て、ウチに食べに来たりもしてた」といい、当時の娯楽として映画とここの料理の組み合わせは欠かせないものだったという。

今もホールと厨房は移設当時の建物のまま残る食堂の中で、カフェ時代から使われていたソファーとテーブルは時代の生き字引のような存在。外観との対比が大きいからこそ、ここを舞台にした映画のロケも多く行われる。

「これはカフェで使っていた当時のもの。ウチの店は物持ちがいいって言われますけど、逆に言えば昔のものはこれしか残ってないんですよ。もっと色々と大切にすればよかったですね」

※「中華そば」や「とんかつ」の文字が記された暖簾の前に立つ、二代目の京子さん。

移転後の食堂を初代ご夫婦と共に切り盛りしていたのが、ご主人の由郎さんと奥さんの京子さんの二代目夫婦。初代夫婦の長女として生まれた京子さんの元に婿入りした由郎さん、実は「初代が羽生に住んでいた時のご近所さん」だったという。

「私がここに嫁に来たときは、父と母が中心になってお店を回していました。昔はラーメンを自家製麺で作っていたり、とにかくやることが多かったので『小僧さん』と呼ばれるお手伝いさんを何人も雇っていました。ごはんを食べてもらってお小遣いを渡したり、ここで寝泊まりもしてたんです」

そんな忙しさが絶えなかった食堂に一大事が起こったのは由郎さんが42歳の時。交通事故に遭って右足を付け根から切断。引退していた良助さんとますさんが復帰したが、「重い義足をつけて、おかもちをサイドカーのように改造したカブにつけて乗って配達していた」と、由郎さんも出前を中心に店を支えてきた。

■食堂の女将として、家を支える妻として

「本当は理容師になりたかった」という善弘さんが店を継いだのは、初代が体調を崩してしまったことがきっかけだ。

「まさかここを継ぐことになると思わなかった」という善弘さんだったが、高校卒業後に料理学校を経て足利の市民会館の食堂をはじめ、数々の修行先で洋食を中心に研鑽を積んだ。市内で知り合った秀子さんと共に店に戻り、北清軒の歴史が三代目によって受け継がれ守られることになった。そんな矢先、今度は京子さんにアクシデントが起こってしまった。

「30年ほど前に母が倒れてしまったんです。当時、主に料理を作っていたのは母で、おじいちゃんは製麺や帳簿つけ、出前を担当。自分たちは自宅と別のアパートに住んでいましたが、倒れてしまった母に一度入院してもらって、営業しながら戻ってこれるように住居を立て直したんです」

「父は定休日でも知り合いから『料理を作ってくれ』って言われたら出前をしていたほど。そんな姿勢を見てきたからこそ、わたしたちもずっと料理をして、24年間休むことなく働くことができたんです」

大切なお客さんに対する想いを一番近くで感じてきたからこそ、休まずに働いてきた。そんな二人だが、ここ1、2年になってようやく休みを取るようになったという。

「この2年でようやく元旦に休みを取ったり、最近は月1回の連休も取るようにしています。ただ、家のことをしているので休みという感じはないんですよね」

今も食堂を支える女将として、そして家を支える妻として、調理を担う善弘さんと共に、三代目としての日々を過ごしている。

■シンプルな料理だからこそ、レシピに忠実であれ

「ここ数年は、テレビでウチを知ったお客さんが多くなりましたね。あとは地元の建設関係や映画撮影で足利に来られる方。昔からの地元の常連さんは高齢になったので、一人で来るよりも誰かに連れて来られてます。例えば、足利競馬場に勤めていた106歳のおじいちゃんが、ひ孫と一緒に来たりとか。戦時中に勤労報酬としてウチのごはんを食べていたそうです」

時代の流れとともにお店を訪れる客層は変化しているが、そんなお店のメニューには年齢や性別に関係なく、暖簾をくぐるお客さんを長く満足させてきた料理が並ぶ。

「昔はラーメン、五目ラーメン、とんかつ、ソースカツ丼。あとシュウマイも前から出していました。母がとにかく料理上手で大量の煮物やおでん、おはぎなんかも作ってましたね」

そんなお店の看板料理。それが「父が来てから出すようになった」というハンバーグとショウガ焼肉だ。

二人が動くのにちょうどいいサイズの厨房で、手早く料理を仕上げていく善弘さん。慣れた手付きという言葉を遥かに上回る手際に、ただただ驚くばかり。

ハンバーグには牛と豚の合い挽き肉に、パン粉、卵、牛乳、塩コショウ、ナツメグが入る。ポイントは生の刻みたまねぎを使うこと、そしてケチャップを加えて混ぜ合わせること。こうすることで下味がしっかりと全体に行き渡る。

ラードを溶かしたフライパンでハンバーグを焼き上げる。その間に作るソースは昔からのオリジナルブレンド。「鍋のどのあたりまで醤油や砂糖を入れるかまで言われているので、この鍋を使わないと作れない」という唯一無二の味だ。

「ショウガ焼肉っていう言葉は、先代が使ったものなんだよ。ちょっと変わってるでしょ?」というショウガ焼肉は、一口大にカットしタレを絡めた豚肉を、こちらはサラダ油を敷いたフライパンで焼き上げる。

「料理ごとに油を変えるのが大切なんですよ」という言葉に、シンプルな料理だからこそ、味の違いを丁寧に作り上げることへのこだわりが凝縮している。

「玉ねぎを一緒に炒めるお店は多いみたいだけど、ウチは二代目の時からこれを使ってるんです」と、もやしを加えて炒めるのが特長。フライパンの景色がいつもと少し違うだけでも、興味がグンと湧いてくる。

もちろん、創業時からの屋台骨として食堂を支えてきたラーメンを、注文しない理由はない。

タレもスープも「初代の味をベースに」作られるこの一杯。変わった点は「以前は自家製麺だった細麺を今は昔に近いものを製麺所から仕入れるようになった」ぐらい。原点だからこそ、仕事は昔に忠実のままだ。

■ごはん向けに作られた洋食と、原点の一杯が持つ醍醐味をいただきます!

このお店ではどの料理も単品注文できるが、やっぱりセットで食べるのが一番。

大きな大きなハンバーグ。一口食べればラードで焼かれた表面が奏でるカリッと軽やかな音とコク。そして、まるで豆腐をまとめたかのように、フワフワと柔らかな食感。そこに、シャキシャキの生玉ねぎが持つみずみずしさが加わると、口の中にスケール感のあるメリハリが生まれる。

そんなハンバーグにしっかり絡む、ケチャップとソースをベースにした自家製ブレンドの特製ソース。酸味と甘みがしっかり調和した、ごはんとの相性を最優先に考えられた味。たっぷり盛られた白ごはんが、あっという間に消えていく。

一方のショウガ焼肉は、口に含めた生姜の爽やかな香りが一気に広がる。

お肉ともやしの組み合わせで生まれる感覚はどこか新鮮。サラダ油でさっぱり目に焼き上げているので、重さがなく全体的にサラサラで軽やか。シャキシャキのもやしが、スッキリした後味づくりに効いている。元気がない時でも、このセットを食べればすぐにでも体力を回復してくれる。そんな頼れる味だ。

そして、これが北清軒の原点。

ラーメンはやや濃い目の色味と違って、鶏の旨味を中心としたあっさり・さっぱりした口当たりのスープ。なので、一口、二口、三口と飲み続けると粘り腰のある旨味が積み重なって、最後にしっかりと深い余韻を残してくれる。

細麺との相性はもちろん、チャーシューへの味の染み込み方とのバランスまで、百年かけて完成度合いが熟成された一杯。『食べ飽きない味ってのはこういうことなんだよ』と、静かに教えてくれる。

■「絶対に料理には手を抜かない。」だからこそ出会える嬉しさ

※店の一角に飾られた「吾唯足知」の書。「吾(われ)、足ることを知る」という意味を持つ、三代目夫婦にとっての大切な言葉。

初代から代を重ねて受け継がれてきた普遍的な美味しさを、今なお実直に作る二人にお店の未来像について秀子さんに尋ねてみた。

「子供が二人いたんですが、食への関心が強い次男が実は亡くなってしまったんです。今は長男も店には来ることはあるけど、別の仕事をしていることもあって継ぐ気はなさそうですね。逆に『継ぐ』って言ったら、多分私はお店で喧嘩しちゃうので、出ていっちゃうかも(笑)。

商売って忙しい時と明日どうなるんだろうという時の落差が大きい。給料だって何十万円もらえるわけじゃない。人が遊んでいるときこそ忙しい。長く続けるのって、やっぱり大変なんですよ」

以前は「食堂を続けるべきなのか?」と考えることもあったというが、テレビで紹介されたことで、今こうして営業を続けることができているという。

「ウチはこういう外観や内観、あるいは料理を出す店なので、最近はインスタ映えだけを目的に来るお客さんもいらっしゃるんですが、その一方で店に来る前に『開いてますか?』と、電話をかけてくれる若いお客さんもいる。そうした出会いもあると嬉しいですね」

お店を営む上で大切にしているのは「絶対に料理に手を抜かないこと」と秀子さんは胸を張る。だからこそ、夫婦ふたりで作り上げる味に会いに来るお客さんを大切にしている。

一世紀の時間をかけてこの店が培ってきたのは、変化の繰り返しの先にたどり着いた、心寄せたくなる安心できる味。だからこそ、何回でも足を運びたくなるのだ。


【お店データ】
創業年:1919年(大正8年・取材により確認)
住所:〒326-0814 栃木県足利市通4丁目3505
電話番号:0284-21-2864
営業時間:11:30〜20:00
定休日:水曜日(月に1度、不定の連休あり)
おすすめメニュー:
ハンバーグライス(750円)/ショウガ焼肉ライス(650円)/ラーメン(500円)/シューマイ(300円)
※店舗取材は2019年9月27日時点、料理の料金は11月2日時点のもの。料金には消費税が含まれています。

〒326-0814 栃木県足利市通4丁目3505