鎌倉駅に電車が到着すれば、自動改札には小さな渋滞が起こり、スマホと買い食いアイテムを手にした観光客で、小町通りの賑わいは絶えることがありません。
そんな町のメインストリート、鶴岡八幡宮の参道・若宮大路沿いに店を構えるのが『あさくさ食堂』。
色鮮やかなメニューサンプルが整然と並ぶガラスケースをはじめ、大正13年に開業したその佇まいには、町の日常に欠かせない存在としての風格を感じさせます。
自動ドアの先に広がる空間は、まるでテトリスのジグザグパーツみたいなレイアウト。
実は、店裏手の駅側にも入口を構えているのですが、元々この界隈では二つの入口を持つお店が多かったそう。
ビールを片手にワンコインランチのうどんセットを食べるおじさまや、定食で午後へのエネルギーを補給するサラリーマン。昔ながらの白いテーブルと椅子が作る空間で、思い思いに時間を過ごすお客さんの中には、大きなスーツケースを持った観光客の姿も。
「基本的にウチは地元の方向けの食堂ですが、場所柄、外国人観光客の方も訪れるんです」
と語るのは、三代目として暖簾を守る藤原康夫さん。食堂のご主人といえば、口数少なく寡黙なイメージが強いところですが、軽快な語り口と絶やさない笑顔で、お店の歴史や味へのこだわりをお話いただきました。
■鎌倉なのに『あさくさ』、その理由とは?
「ウチの初代の義春(よしはる)は、長野は下諏訪の農家の次男坊で、西那須に移ってから出征をしました。生活環境もあって高等教育が受けられなかったのですが、勉学に打ち込む姿勢は実直で、熱しやすく怒りっぽい。そして情に熱い人でした」
日露戦争に出征し調理係に従事した義春さん。日本に戻ってからは、洋食の職人として一本立ちしようと浅草の界隈で研鑽を積み、田原町に自らの店を構えました。
ところが、そこに襲ってきたのが関東大震災。疎開生活を余儀なくされた義春さんは、弟さんが生活をしていた鎌倉の地へ。かつて「松林だった」という現在の場所に食堂を開き、再び暖簾を掲げたのです。
「食堂の屋号が『あさくさ』なのは、当時は他の地域から来た人を地名で呼ぶことが多く、その流れで定着したものなんです」
当時から今に残る名物料理。その一つが上ロースかつ。
「初代には子供の頃から調理を仕込まれたのですが、カツの揚げ方も10代後半ぐらいには教わっていました」
分厚い豚ロースにパン粉をつけて、熱くたぎる純ラードでじっくり揚げるので「一つ作るのに10分ぐらいかかってしまうんです」という一品。うっすらとピンク色が残る鮮やかな肉の色と、衣の香ばしい香りが食欲をそそります。
「最初の一口は岩塩で食べるのをオススメしています」という言葉に従いシンプルに頬張れば、ハリのある赤身からにじみ出すエキスと、重厚な軽やかな衣が織りなすコンビネーションにうなるしかありません。
※現在は「ぶ厚い豚カツ」にリニューアルしたそうです。
そして、もう一つの料理が『昔ながらのラーメン』。
「聞いた話ですが、元々は食堂で出していた『すいとん』が、戦後になってラーメンに変化した」という一品。あっさりした口当たりから広がるのは、優しく溶け込んだ野菜や鶏肉のエキス。初代から受け継がれてきた味を纏った、細ちじれ麺を啜る心地よさがたまりません。
「味そのものは昔のイメージを残しながら、少しずつ変化させていますが、基本的に野菜と肉の『清湯』がベースになっています」
具材もネギと海苔という昔ながらのシンプルスタイル。ただし、チャーシューは低温調理にアップデート。ムチムチとした弾力の中から、じんわりと豚肉の旨味が楽しめる志向になっています。
そんな味を昔から支持するのが、食堂の斜向いに構える鎌倉市農協連即売所、通称『レンバイ』に野菜を出荷する農家の方々でした。
「ウチでは昔からレンバイの野菜を使っていて、初代からは『◯◯さんの売場から大根を持って来い!』なんて言われたりもしてました。その縁もあって、おばちゃんが食べに来たり余った野菜をくれたりしたことも。お年を召している方には、ウチに来たら必ずラーメンを食べる方もいます」
■初代譲りの向上心で、常に味とサービスに最善を尽くす
「94歳で亡くなるまで、当時最先端だったワープロの使い方を学んだり。向上心が強い人だったんです」
そんな義春さんには跡継ぎになるはずだった息子・康太郎さんがいましたが早くに他界。そこで、二代目として店を継いだのは康太郎の奥さんの榮子さん。現在は第一線を退きましたが、初代と共に食堂を切り盛りしていた彼女が手がけた料理の中で、今でも人気なのが焼き餃子。
弾力のあるしなやかな皮に包まれた餡は、「ニラ、キャベツ、豚肉、にんにく、しょうが」と野菜がメイン。焼き立てアツアツを頬張れば、食欲をそそる香りが鼻腔に広がり、ぎゅっと詰まったキャベツや豚肉の甘味が溢れ出します。
そんな榮子さんから暖簾を受け継いだ康夫さん。「初代の方針で20代の頃にはお店に入ることができなかったんです」ということで、出版社勤めの経験も。日本酒のムック制作を担当した経験は、食堂らしからぬ充実した地酒の品揃えに活きています。
27歳の頃、当時余命3ヶ月の宣告を受けた初代からの「そろそろこっちの世界に戻ってきたらどうか?」という一言をきっかけに、和食や洋食の修行を開始。中でも「自分にすごく水が合った」というのが、香川のホテルでの中国料理の修行。こうして他流試合によって研鑽を積んだ康夫さんが、鎌倉に戻った時に感じたのが『朝ごはん問題』でした。
「この食堂に戻る前に視察のような形で香川から鎌倉に来て、朝6時に到着したのですが、当時の鎌倉には朝ごはんが食べられるお店がなかったんです。香川に住んでいた時でさえ、うどんや牛丼、ファミレスがあるのにって思って。そこで、朝食を始めたんです」
毎朝6時にシャッターが開き、鎌倉の朝日を浴びながら羽釜炊きのごはんと野菜たっぷりの味噌汁で一日のスタートを切ることができるサービスは、今では町に欠かせない存在に。
「毎朝5:45に食堂で仕込みを始めるのですが、シャッターを開けてすぐに来たお客さんには『コーヒー飲みながら待ってて!』っていう感じで、お待ちいただいてます(笑)」
これを皮切りにワンコインランチや、深夜営業「夜鳴きうどん」、「ちょい呑みセット」、落語会「笑う香辛料」など。視野が広がった康夫さんの手によって、食堂に色々な表情を生み出す企画が増え、食堂のメニューもリニューアルされていきました。
■三代目の二大看板『麻婆豆腐』と『カレー』
「今のメニューは温故知新のスタンスで、古くてもいい料理は残して悪いものは変えています」
四季に合わせて年5回ほどメニューを変えているメニューには、二代に渡って親しまれてきた名品と共に、修行先で会得した中国料理や洋食が並びます。中でも人気なのが麻婆豆腐とカレー。
「麻婆豆腐はホテルで出していたレシピを改良したものです。辛さについては最初は『ピリ辛』と『大辛』でしたが、常連さんの中には辛さを極めたいという方がいて『激辛』を作りました。でも『大辛』を食べたお客さんじゃないと注文できないシステムになっています(笑)」
『香りの麻婆豆腐』の名のとおり、食欲をそそる香りが立ちのぼる鍋の中で煮えたぎるのは、豆腐やひき肉の他にパプリカや椎茸の甘さと弾力。多様な口当たりを楽しんだ瞬間、花椒が喉の奥や舌の上に刺激を残します。確かに、この日いただいた『ピリ辛』が初めてのお客さんにはオススメと感じましたが、その先の強めな刺激も気になるところです。
※現在はマトン肉を使った「羊肉の麻婆豆腐」にリニューアルしたそうです。
一方、「玉ねぎと鶏モモ肉で作ったブロードが味のポイント」という『チキン煮込みカレーライス』も、鶏肉の旨味と玉ねぎの甘味がぎっしり。
スパイスも主張しすぎてなく舌にやさしい刺激の加減。みんなが好きで食べ飽きない味が現代的にアップデートされ、しかもアーモンド型のごはんで楽しめるのもポイント。もちろん、ここに分厚い上ロースカツを乗せたカツカレーも人気です。
■満腹こそ、我が食堂のホスピタリティ
「お腹いっぱいになりましたか?」「ありがとうございました!いってらっしゃいませ〜」
お店を取材している時、食事を終えたお客さんに対して康夫さんが必ずかけていたこの言葉。
「長く続いてきた暖簾を守る上で、お客さんに対するホスピタリディを心がけています。来られた方が満足してもらうのが一番。ウチのホスピタリティはおなか一杯になっていただくこと。一にも二にもそれが大切なんです」
観光地の中にあって「ただいま」と思わず声が出るような店内で、鎌倉の日常に寄り添う味に出会える食堂。今日もおはようからおやすみまで、笑顔とボリューム満点のごはんが出迎えてくれます。
【店舗情報】
創業年:大正13年(取材により確認)
住所:〒248-0006 神奈川県鎌倉市小町1-4-13
電話番号:0467-22-0660
営業時間:6:00~20:00(L.O.)
定休日:火曜日
主なメニュー:ぶ厚い豚カツ(1,080円・定食1,300円)/昔ながらのラーメン(550円)/野菜たっぷり餃子(5個入り500円)/羊肉の麻婆豆腐(999円・定食1,130円)/チキン煮込みカレーライス(800円)
※店舗情報は2020年6月7日時点のもの、料金には消費税が含まれています。