北海道名寄市「三星食堂」

LINEで送る
Pocket

■「三」の字が繋げる三星の屋号

三星食堂-03

実はこの食堂、初代から四代目まで主の名前には必ず「三」の文字が入っている。偶然か必然かわからないが、代々受け継がれてきた経緯に触れる上でこの事実は興味深い。

この地に食堂を創業した武田寅三郎さんは滋賀県に生まれ、明治35年頃に北海道に渡り現在の東川町へ入植。しかし「農作業が肌に合わなかった」ことで、天塩川を船で渡って名寄へ移住し運送業を創業。今と変わらない駅前の地で始めた三星運送店の屋号は、食堂のルーツとして今もその名が受け継がれている。

「1914年と看板に書いてはいますが、実はもっと早い時期から始めていたという話もあるんです。ただ、百年前のことなのでウチの親父ですら本当の開業時期なんてわからないんですが」と歴史の長さを物語る。

当時の写真が伝えるのは、お待合処の文字や、和洋食、寿し、弁当などの文字が並ぶ看板と、立地の良さもあって客足が絶えることのなかった賑わいの記憶。

当時の最先端だった中華そばを作るために中国人の料理人を呼び寄せたり、そば・うどんは札幌の職人が作っていたりと、「一人の料理人というよりは、オーナー的な存在として食堂を始めた」という寅三郎さんの思いが、百年の礎になっている。

三星食堂-04

二代目の憲三さんが『肉なべ御飯』や『なべやきうどん』を看板に、戦中戦後に暖簾を守り抜いた後、三代目として受け継いだのが、男二人・女三人きょうだいの次男として生まれた泰三さん。

調理系の専門学校を経て25歳まで東京で修行を重ねた後に名寄へ帰郷。それから50年以上に渡り食堂を支え続け、今でもランチタイムには麺類作りに腕を奮う。

三星食堂-05

※宏三さんが戻る前に建て直された食堂の建物も、奇しくも四代目となる。

「他のお店だと家業は長男が受け継ぐのかもしれないですが、ウチは自分も親父もそうじゃなかったんです。自分も上二人は官公庁や土建関係の仕事に就いてますし。

元々、自分は高校を出たら名寄の外に出たいと考えていました。親も『専門学校ぐらいは行ってこい』って考えだったので、札幌の調理系の専門学校を経て飲食店やホテルでの修行をしていました。

ただ、おふくろからは『自分が四代目』という話はあったんですが、当時は継ぐことをはっきりとは意識してなかったですね」


LINEで送る
Pocket