埼玉県寄居町「今井屋」

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■老舗の暖簾と味は女性の手によって受け継がれてきた

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創業1904年、明治から令和へと4つの元号に渡る歴史の始まりは、街の洋食店としてのものだったという。

「実は私も初代のことや屋号の由来を詳しくは知らないのですが、大勢の家族とここで暮らすために始めたようなんです。ルーツは洋食なんですが、戦後は芋を蒸して売ったりラーメンを作ったりもしていたそうなんです」

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そんな食堂を二代目として受け継いだのは横田育子さん。武士の家系・益子家の血を受け継ぎ、学校の先生をしていた父と書店を営む母の間に生まれた。

「益子家は新しい1万円札の肖像になる渋沢栄一さんとも縁があった家庭なんですが、色々と事情があって育子さんが小学校2年生のときに横田家で生活することになったんです」

幼少期に熊谷からこの地に移り住み、食堂を営む家庭で生活をしてきた育子さん。戦時中の苦労を乗り越えて食堂で培ってきた味は多くのお客さんを喜ばせてきたが、実は富美子さん自身もその味を食べて育った一人だった。

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「元々、私はこの町の生まれ。小さい頃にはここのかつ丼を食べたりもしていました」

2000年の4月に食堂にやってきた富美子さんは、育子さんの旦那さん・横田金誉さんの甥っ子のお嫁さん。つまり育子さんはおばにあたる。

「おばに『店を手伝ってほしい』と言われて来るようになったんです。おばと旦那さんとの間には子供がいなくて、『食堂の跡継ぎをどうする?』という話が元々親戚の中にもあって。なので跡継ぎを前提で来たようなものなんです」

95歳まで生きた育子さん。晩年は体調を崩して寝たきりになったが、育子さんの食事づくりを始めとした世話をしながら、食堂の暖簾を守ったのは他ならない富美子さんだ。

「おばの親戚が大学の先生をしてたりと忙しく、急遽私が養子縁組をして横田性になって、デイサービスや福祉の手を借りつつ世話をして、商売をすることになったんです。今は自宅のある熊谷から通っているのですが、その間の丸5年は食堂に住んでいました」

お店の奥で育子さんを看取った富美子さん。愛する食堂を守らんと土地と建物を購入して育子さんが作りあげた味を、今日まで守り継いでいる。