宮崎県日向市「お食事処ながとも」

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■一杯のうどんに込めた恩返しへの想い

「日向駅の前に大分から来た老夫婦が営んでいたうどん屋さんがあって、初代はそこに弟子入りしたんです」

ながともの歴史は宮崎市生まれの長友岩次郎が、東京行きの高千穂号に乗車したことから始まる。

青果や海産物業を営んでいた岩次郎は仲間の借金で保証倒れの災難に。妻・トクさんと三人の子供を養うべく上京を決意したものの、慌てて東京行きの鉄道に乗り込んだ際に、乗車賃や東京での生活費を忘れてしまった。

有り金すべて使って到着した日向駅で列車を降りた岩次郎。失意と空腹の中、一軒のうどん店にたどり着いた。疲れた心と身体をやさしく包む味に惹かれた岩次郎だったが、空腹と心を満たした後に手持ちがないことを思い出す。

できることといえば代金が払えないことを心から詫びるぐらい。それでも夫婦は話す姿や事情から誠意を感じ、許すだけではなく「うちで働いてみないか?」とやさしく声をかけた。こうして恩返しの気持ちとともに弟子入りを決意。うどん作りに精進する日々を送ることとなった。

そんなある日、調理中のケガが原因でご主人から店を託された岩次郎。ご主人のうどんに近づけようと試行錯誤を重ねた。

「最初の頃のうどんは麺の歯ざわりや硬さが違ったみたいなんです。でも、身体の大きさが初代とご主人とでは違うことに気づいてからは、ご主人が作る味をしっかり再現することができた。それ以来『日向の街に出たならウチのうどんを食べないと』って、他の地域からも人気になったんです」

情熱を込めて作った味がお客さんに届き、跡継ぎとして「長友うどん店」の屋号を掲げたのは大正10年のことだった。

■ラムネ、教習所、ホテル。食堂だからできた多角経営

トクさんと三人の子供と共に、日向市での生活を過ごしてきた岩次郎。

そんな彼が築いた暖簾は娘の由子(よしこ)さんと、婿入りした健(つよし)さんが二代目として継承。屋号を「長友食堂」に改め、家庭の味を守るかのようにうどんの味を守りつつ、新しい料理の提供だけではなく新たな事業にも積極的に取り組んだ。

「今はもうないんですが、初代は一時うどん店が軌道に乗ってから料亭も出して割烹料理を手がけていたんです。そうした流れもあって、二代目が手がけたのがラムネ飲料。『長友飲料』という会社を立ち上げて”菊水”という名前で出していました。売上も好調で金額シェアが非常に大きかった時代。大手メーカーの進出で事業は終了したものの、そうした色々な取り組みが地域に根付いていたんでしょう。それがきっかけで自動車学校の経営も手がけることになったんです」

地域からの信頼があってこそ可能な多角化を更に進めたのは三代目の宏八郎さん。現在、食堂と隣接するホテルも三代目が始めたものだ。

「父の家系は宮崎の国富町ですが、お兄さんが日向で商売をしていたんです。父はそこで働くはずだったものの母と出会って婿入りして今に至ってます。元々がよろず屋をしていた商売人の家系なので商売は上手。区画整理で食堂の場所を移す際、当時ここの土地を持っていたこともあって、隣接したホテルと併設させて手がけることになったんです」

宏八郎さんが経営に携わったことで、手がける教習所の数も3箇所に増加。色々な事業を手がけたいという初代の思いは、代を重ねるごとに色々な形で地域への恩返しとして息づいている。それは四代目として暖簾を受け継いだ健治さんも変わらない。


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