愛知県名古屋市「玉屋」

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■賑わう参道を包み込む饅頭の香りとうどんの味

玉屋-05

そんな食堂のお話を聞かせてくれたのは、二代目の齊藤美奈子さんと三代目の齊藤千壽子さん。お店を支えてきた二人の看板娘に貴重なお話を伺いました。

玉屋のルーツはお饅頭屋さん。初代の齊藤文次郎さん・つるさん夫妻が、今と変わらないこの場所で創業したのは大正2年のこと。

「初代が長屋が並ぶこの参道沿いで店をやろうと決めた理由はわからないけど、当時のこの辺りには日泰寺と山しかなかった時代。今でもたまに見かけるんですが、山から降りてきたイタチやタヌキが出るような場所だったんです」

日泰寺の和尚さんが命名した玉屋の屋号と共に、参道を包む甘い香りで参拝客の疲れを癒やした後、「お年寄りの参拝客がゆっくり休めるように」との思いで、創業5年目を区切りにうどん屋さんに模様替え。

「このあたりにはうどんを打つ職人さんがいなかった」という当時、山形から連れてきた職人さんが打つうどんが参道の顔になるまでに、そう長い時間はかかりませんでした。いつの時代も立地が重要とされる飲食店。初代にはそんな先見の明があったのかもしれません。

二代目の美奈子さんが終戦後にお店に入った頃は、食堂ではうどんの他に丼ものも提供。当時、全国的に食堂で主流だった玉子丼は今もメニューに並び、ベテランらしい存在感を放っています。

戦後の繁盛期を幼い日から見つめてきた隆敏さんは三人きょうだいの真ん中。お見合いで知り合った美奈子さんと共に三代目として食堂を継承。「食堂で働いたことなんてないから無我夢中だった」という美奈子さんですが、幼稚園の先生だった経験を活かした接客でお店の看板娘に。

多い時には三代揃い踏みで営まれていた食堂ですが、二代で暖簾を守ってきたある日、美奈子さんが手術をすることに。厨房も接客も一子相伝、家族経営の玉屋にとって働き手が一人減ることは大きな問題でした。

そんな状況に立ち上がったのが、サラリーマンをしていた息子の拓哉さん。奥様の鮎実さんと共に四代目として店を継ぎ今日に至ります。


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