サトウリッチマンさん
Sato Richman
クリエイティブディレクター
Super Project Creative Director & CEO。イラストレーターとして田中康夫氏や林真理子氏などの装丁、POPEYE(マガジンハウス)などの雑誌や広告などにも作品を提供する一方、インターネット黎明期からウェブサイト制作やマーケティング戦略立案で注目されるなど、活動は多岐にわたる。現在はグローバル企業や行政のコンサルタントとしてマーケティングやブランディング支援を行う傍ら、ジェロントロジーの普及に務める。
今回お店を紹介してくれるのは、クリエイティブディレクターのサトウリッチマンさん。国内外を忙しく飛び回るサトウリッチマンさんが東京に来るときの行きつけは、渋谷道玄坂にあるやきとりと鰻の店「鳥竹総本店」さん。サトウリッチマンさんが馴染みになったきっかけやお店の魅力を伺った。

店の前を通ると、つい引き寄せられてしまう
香ばしい煙が冷たいビールを誘う

渋谷駅前で特に年季が入ったビル。かつては店の前が立ち飲みコーナーだった

サトウリッチマンさんに紹介していただくのは1963年創業のこちらの店。渋谷の老若男女に愛されて60年を超える「鳥竹総本店」だ。歴とした老舗の趣きが若者たちにはハードルが高いかと思いきや「僕もよく来ています!」と若いカメラマンが元気よく手を挙げた。実は筆者もこの店の大ファンだ。
店の前でサトウリッチマンさんを待つ間、おいしい香りに吸い寄せられてお客さんたちが列を成していく。中には行列の長さを見て踵を返す人もいたが、お一人であれば並ばずにカウンターへ通してもらえることもあるらしい。
12時から23時(LO.22:00)まで通し営業で、いつ来てもお客さんが溢れている。

鳥竹に通って30年のサトウリッチマンさん

この香りだけで2、3杯飲めそう———なんて考えていたところに、サトウリッチマンさん登場。鳥竹にはかれこれ30年近く通っており、女将さんともすっかり仲良しだという。

おいしそうにビールを飲むサトウリッチマンさん

「昔は外で立ち飲みができたんですよ。お仕事も年齢も立場もバラバラの人たちが一緒に楽しく飲んでいまして、非常によい時代でしたね。今は外で飲めないので、お店の前で深呼吸して、胸いっぱいにおいしい煙を吸い込んでから入店します。その香りをおつまみに冷たいビールを飲んで、あとはねぎま一本とトマトくらいがいつもの定番です」

藍色のインクで書かれたメニューは創業者の奥様が書いたものを繰り返し印刷して使っている。92歳のときのもの。達筆。

サトウリッチマンさんはご友人の事務所とご自身の職場の中間がちょうど渋谷で、お互いが知っているこの店で待ち合わせて飲むようになったことがきっかけで通い始めたという。
ワイン好きのお二人は「鳥竹のやきとりでワインが飲みたい!」とわがままを言い、根負けした女将さんが一瞬だけワインを置いた、なんて逸話も。
サトウリッチマンさんは、こうした仕事仲間との賑やかな時を経て、最近は一人でサクッと飲みに来ることが多いという。

創業から継ぎ足し続けている「たれ」の味
おいしさの秘密は、お客様にあり

一日中通しで焼かれるやきとり

この店にファンが多い理由のひとつが、創業から継ぎ足し続けている「たれ」のおいしさだろう。ダメ元で、女将さんに原材料を伺ってみたところ、あっさり教えてくれた。醤油、みりん、砂糖、昆布と、ごく普通のものを使っているという。

創業から継ぎ足し続けている「たれ」

「うちのたれは、父が創業した頃から変わっていません。甘すぎず、上品すぎてもいけない。父は『大衆の味』にこだわりがありまして、兄が11歳、姉が9歳、私が7歳で、家族全員で何度も試食して、ちょっとだけ甘いくらいのバランスを父が作り上げました。それからはずっと同じ配分で継ぎ足し続けています。材料は、ごく普通のものだけ。でも、うちの味はよそでは絶対出せないのです」と女将さん。

ほどよい甘さのたれで、香ばしく焼かれた絶品のやきとり

やきとりともう一つ、名物のうなぎも絶品

その理由は、圧倒的なお客さんの数。鳥竹で一日に出るやきとりの本数は一千本以上。その回数分の鶏のエキスがたれに溶け込むため、重厚感のあるコクと旨みを成していくのだ。
「うちのたれの味は、毎日食べてに来てくれる大勢のお客様たちが作っていると言っても過言ではありません」と、深い情感を湛える女将さんがとても印象的だった。
一千本が60年分。単純計算すると2190万本分の味ということになる。

信用は無限の宝
受け継がれる創業者と支援者の想い

厨房とホールを忙しく行き来する女将さん

二代目として店を継いだ兄が亡くなったことを機に、鳥竹の三代目社長となった間島さん。主人(あるじ)なき調理場はパニック状態で、継いで間もないうちは気苦労が絶えなかったという。

調理場はいつも大忙しだが、ときたま笑顔が垣間見える

「このままでは店の味が守れない」
そう考えた間島さんは、従業員一人ひとりと直談判。板場の中には強面も多かったようだが、真剣に膝を突き合わせて話し合いを重ね、整理をしていくうちに、徐々に鳥竹らしさが戻っていった。
従業員20名、アルバイト20名を3、4交代制で回していく。週休二日制を導入し、見込み残業なんてものはもってのほか。超過した分はしっかりと従業員に還元する。コロナ禍でも決して夏・冬の賞与をゼロにすることはなかった。

創業当時に取り付けてもらったリフト。頭上注意な階段も当時のまま

持ち場でテキパキと動く従業員の皆さん

従業員の幸福度が低ければ、人は働き続けられない。従業員が入れ替わればお店の味も変わってしまう。それに気づいた間島さんはこういった。
「社員の皆さんは私が守ります。その代わり、従業員の皆さんには店の味とお客様を守ってもらいたい」。
この言葉は、飲食に携わる人だけでなく、あらゆる業種の人たちの心にも刺さるはずだ。

店是が掲げられた店内

「うちの店是に『信用は無限の宝』という言葉があります。創業者である父は、戦後に仕事がうまくいかず、お金も何もない、すっからかんの状態でした。そんな時、本当にたくさんの人が応援してくださって、現在の鳥竹があります。どの方との出逢いが欠けていても、成り立たなかったのです」。
間島さんは、先々代である父上の話をしてくださった。

お店の歴史をたくさんお話してくださった間島さん

戦友から縁をもらい、働いていた川魚料理と焼き鳥の店で、支店を任されるまでになった菊池武俊氏。誰よりも早く店に着き、誰よりも遅くに帰る。そうしていると、今度はそこに出入りしていた業者さん達が独立開業を勧めてくれるようになり、肉屋、魚屋、酒屋などが「ある時払いでよいから、自分のお店をやりなさい」と後押ししてくれた。
東京オリンピック目前の年、また戦友の一人が「ビルを建てるから、そこでやらないか」といった。それが渋谷駅前にある現在の鳥竹だ。設備はすべて鳥竹仕様に作ってもらい、多くの備品を業者さんが揃えてくれた。その方とは現在もお付き合いをし続けているという。

お客様の人生の一コマに鳥竹がある
店を長く守り続けることの意義

「お店の従業員さんたちも皆とてもよい人。まるで京子さんそのものです」とサトウリッチマンさん

毎日、世界中からファンが押し寄せるこのお店を切り盛りする女将さんは、お客様の人生の一コマに鳥竹があることが嬉しいと話す。
若い頃に働いていた建設現場で、監督が配ってくれた鳥竹弁当の味が忘れられず、いつか自分が成功したら来ると心に決めていたという人。
鳥竹でプロポーズをした人。
サラリーマン時代に一人で来ていたお客様。そのうち結婚されお子さんができ、やがて定年退職。時は過ぎ、そのお子さんも定年退職したその日、初めに通っていた父上の手を引いて鳥竹に来た。お孫さんも来てくれた。最後を迎えた後も、周年法事で鳥竹を使い続けている。そんなご家族もいる。
お客様一人ひとりにとっての鳥竹がある。その喜びは何にも代え難いと女将さんはいう。
ちなみに、サトウリッチマンさんにとっての鳥竹とは?
「僕にとっての鳥竹は、京子さんです。京子さんに会いに来ています」
そういって皆を笑わせるサトウリッチマンさんだが、その言葉はおそらく本音なのだろう。
看板女将が守り続けているのは、父親と一緒に作ったたれの味だけではない。時代を切り拓こうとする人々が願った未来、その未来を託された先々代の信条。そしてこの店を愛してやまない常連さんたちと、その子孫の思い出なのだ。

店舗情報
鳥竹総本店

営業時間:月・火・水・木・金・土・日/12:00 - 23:00
定休日:なし
住所:東京都渋谷区道玄坂1−6−1
電話番号:03-3461-1627
WEBサイト:https://toritake.jp

間島京子さん

代表取締役
1963年創業のやきとり・鰻専門店「鳥竹総本店」三代目社長。従業員一丸となって創業当時からの味を守り、自らも店頭に立つ看板女将。

ライタープロフィール
伊藤 璃帆子
コラムニスト・写真家として活動するマルチコンテンツプランナー。ケータリング店「SESSION」を運営。