岩手県一関市「和風レストラン松竹」

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■水運の発展と共に生まれた町の味

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北上川の流域、水運によって発展してきた一関の町。その玄関口である東北本線・一ノ関駅の改札を出てすぐに、『うなぎ』の文字と『松竹』の屋号が視界に入ります。

暖簾をくぐると出迎えるのは無数のサイン色紙と「いらっしゃいませ~!」の元気な声。次々と訪れるお客さんに対し、気さくに声をかけるホールの女性とのやりとりに、冬の寒さに晒された身体も温まります。

「以前、ある雑誌で紹介されて以来、永六輔さんや野村萬斎さん。あと、一関に有名なジャズ喫茶がある縁で日野皓正さんや渡辺貞夫さん。様々なジャンルの著名な方に訪れていただいてます。」

そう語るのは細川雄司さん。東京の大学を卒業して一関に戻り、職人さんやパートさんと共に店を切り盛りする四代目・若旦那さんです。

松竹の創業は1920年(大正9年)のこと。明治維新や鉄道の開通によって新しい時代を迎えたこの町に、盛岡の農家に生まれた細川竹治さんもまた、妻と子を残して出てきました。

地元で名高い料亭・梅茂登の厨房で研鑽を積んだ竹治さん。その後、父親の名前『竹松』から取った『松竹』の屋号を掲げて独立。

和食の枠にとらわれず「今でいうカフェのようなお店」で、時代の最先端だったカレーライスやハヤシライス、そしてかつ丼を提供。町の発展と共に人々の生活に少しずつ溶け込んでいきました。

■努力と修行が町にもたらした最先端の味

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左が細川雄司さん、一番右が『看板娘』の三浦久仁子さん(2017年2月いっぱいで退職されました)。

二代目として暖簾を受け継いだのは細川久作さん。盛岡の「秀清閣多賀」で培った腕で、トンカツやポークソテーといった洋食メニューを増やし、竹治さんの次女・ツギさんと共に、松竹を街に欠かせない存在に育てていきました。

努力の人だったという久作さんが残したのが、「作り方だけではなく、色鉛筆で料理のデッサンも描かれていました」というレシピ帳。今日の松竹の礎となった宝物もまた代々受け継がれています。

「久作の長男が東京の大学を出て銀行に勤めた」ことで、三代目として店を継いだのは二男の正二さん。女子栄養大学の併設校で現在の香川調理製菓専門学校の一期生として卒業後、竹葉亭でうなぎや天ぷらといった和食を修行し一関へ。

洋食中心のメニューに本格的な和食を加えて、常に最新のおいしさを提供することで、幅広いお客さんの舌を満足させてきました。

「正二が修行先で学んだ天ぷらを提供する前、この地域で言う天ぷらは全く別の料理だったんです。それもあって、昭和40年代には天ぷら目当てのお客さんで行列が出来ていたそうです」


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