岩手県宮古市『冨士乃屋』の四川チャーハンとねぎラーメン、カツ丼

2020年8月23日

冨士乃屋-01

岩手県宮古市。

東日本大震災と台風の被害によって運休が続いていた、盛岡〜宮古〜釜石を結ぶJR山田線は、2017年11月に盛岡〜宮古の区間で復旧。

一方、宮古〜釜石の区間は三陸鉄道に移管。2019年3月23日に久慈〜宮古〜釜石〜盛(さかり)間を結ぶ三陸鉄道リアス線として開通。太平洋沿岸の町は一本のレールでつながり、生活インフラや観光の足として新たな一歩を踏み出しました。

さて、そんな町の物流の要は今も昔も宮古街道。盛岡と宮古を繋ぐ道の両側に色々な店舗が立ち並ぶ一角に、ひと際鮮やかな看板と目を奪われるショーケースを発見。

冨士乃屋-02

思わずインスタに投稿したくなるような、中華料理を中心としたおいしそうなサンプルがズラリ。店内に入れば、ランチタイムのピークを過ぎたにも関わらず、満員御礼。思い思いの料理に舌鼓を打ちながら、笑顔で会話に花が咲いてます。

「ウチは昔から特に高校生が多かったですね。今みたいにファミレスやファストフードなんてなかった時代。なので食堂が憩いの場になっていたんです」

冨士乃屋-03

こうお話いただいたのは、三代目の野崎峰子さんと四代目の野崎将史さん親子。

確かにこの日も、テーブル席では学校帰りの高校生が麺料理でお腹を満たし、隣のテーブルでは会社員が午後の活力を補給中。お年を召した女性客グループの姿もあって、世代を超えて賑わいに包まれてました。

■食堂のルーツは『お手製』にあり

冨士乃屋-03

冨士乃屋が創業したのは昭和8年、昭和三陸津波直後のこと。初代の野崎ふじさんは、北海道から親戚を頼って移り住んだ宮古で、重茂半島ご出身のご主人と知り合い結婚。料理上手だったこともあって始めた、手づくりのお饅頭や餅のお店がルーツです。

ふじさんが作る素朴なおいしさが、町の評判になる中で「お菓子に使っていた小麦粉やそば粉があればできるはず」ということで取り掛かったのが自家製麺。メニューに日本そばやうどんの文字が加わるまでには、時間はかかりませんでした。

また、現在の中華料理中心のメニューの基礎となるラーメンも、自家製麺で作っていたとのこと。食堂の歴史を支えてきたのは、お手製で粉を加工する技術でした。

忙しい日々の中で、5人の子供に恵まれた初代ご夫婦。その中でも「特にふじさんと一緒にいる時間が長かった」というのが次女の綾子さん。働く背中を見つめているうちに、食堂を継いだのは「必然だった」とのことです。

麺料理の他に、チャーハンやカツ丼といったご飯ものが食堂を賑わせるようになったのもこの頃。「ウチは一般的ないわゆる食堂なので、こうしたものを全部作っているうちに、少しずつメニューが増えていったんです」

そんな言葉と共に町で頼れる存在になれば、当時盛んだった出前も引っ切り無し。冨士乃屋では綾子さんが作る料理を、ご主人のしげる(草かんむりに千)さんが出前をする役割分担でした。

「20年ぐらい前まで出前が盛んでした、出前に出ると次に届ける料理が入ったおかもちを準備。車に積んで一日で何回も届けていました」

特に得意さんだった市役所や病院と店との往復は、雨の日も風の日も絶えることなく繰り返されていました。

■両輪で支えてきた老舗の味

冨士乃屋-04

30年前、三代目として暖簾を継いだのが長男の重治(しげはる)さん。仙台の広東料理店で修行した腕前は、現在の本格的な中華料理が増えるきっかけとなり、幅広い料理が楽しめるお店として、多くの方に愛されてきました。

厨房で中華鍋を振るう三代目を支えてきたのが奥様の峰子さん。四人きょうだいの3番目に生まれた、宮古生まれの宮古育ち。以前は栄養士だったこともあって調理関係はお手のもの。重治さんと共に厨房に立ち、種類豊富な冨士乃屋の味を支えてきました。

そんなご夫婦の共通の趣味だったのがバイクツーリング。

「一緒に八幡平や十和田湖、田沢湖にツーリングしてたんです。休みが来るたびに『紅葉を見に行くぞ』って」

忙しく厨房に立つ時間とリフレッシュの時間を重ねることで、深まっていく夫婦の絆。そんな二人が作る料理だからこそ、お客さんの心を温めたのです。

■メニュー豊富な食堂だからこそ

冨士乃屋-05

「ウチの隣に元々あった魚屋さんがお店を締める時、土地を譲っていただいて駐車場にしました」こうした機会もあって内装や外装の入れ替えをした1年後、宮古の地を東日本大震災が襲ったのです。

「店は泥と灯油で真っ黒に染まった水に浸かってしまい裏手の自宅とともに、全部やられてしまいました」

それでも、冷凍庫や冷蔵庫に残っていた食材のうち、無傷だったものは「近所の方におすそ分けしていた」とのこと。当時、食堂としてできることに取り組みながら、再開に向けて準備を進めていきました。

宮古街道に冨士乃屋の暖簾が帰ってきたのは、震災から32日後。営業を再開した冨士乃屋の味は震災前と変わることなく、待ちわびていたお客さんの心を癒やし、胃袋を満たしました。

「店頭で掃除をしているとお客さんから『再開はいつ?がんばって!』って声を掛けられて、それが励みになりました。再開するなら全メニューを提供できる体制でと思っていました。幸い野菜は八百屋さんから調達することができ、ストックしていた食材の中は水に浸からなかったものもあったので、時間がかからなかったんです。でも、こんなに早く商売を再開することができたのは、調理器具を用意してくださった業者さんのおかげ。震災後、一番最初に連絡したのも業者さんだったのですが、冷蔵庫やコンロなどを素早く準備してくれたんです」

再開にあたって重治さんがこだわったのが「お客さんに何を食べるかをメニューから選ぶ楽しみも味わってほしい」ということ。復興に向かう町に希望の味が帰ってきたのです。

■チャーハンもラーメンもカツ丼も。凝縮されているのは、普遍のおいしさ

冨士乃屋-06

こうしたお話を伺ってから、改めてメニューブックに目を通すと、改めてここに食堂の歴史が凝縮されていることを感じます。

冨士乃屋-07

料理の数は100を超え、中華料理はもちろんルーツとなったそばやうどんの文字も。

「ウチはベテランの調理スタッフを加えて、息子の将史と共に四人で厨房を切り盛りしてます。
中心となっている料理は主人と一緒に考えたものが多く、料理の数に対して人数が少ないので、いかに手早く作るかを頭に入れてイチから作ってきたものばかりです」

特に食堂が大切にしてきたのが、中華メニューの肝となる鶏と豚のスープストック。その味は絶えることなく店の礎となっています。

冨士乃屋-08

そんな数々の料理から選んだ三つの料理。まずは、入口のディスプレイでも最初に目を惹いた四川チャーハン。楕円のお皿になみなみと注がれる麻婆豆腐。その傍にあるチャーハンとの並びはカレーライスのよう。

フワフワの豆腐に絡んだ麻婆の餡は、とろみしっかり旨味ギッシリ。最初は控えめな刺激も、食べ進めているうちに赤唐辛子でスイッチオン。皿の脇に添えてある豆板醤をスプーンで掬って、辛さを調整できるのも嬉しいところ。餡に入ったしいたけやタケノコ、そしてネギが、口当たりにリズムを生み出し、爽快感や香味感を加えます。

一方のチャーハンは、チャーシューにネギ、そして卵のクラシックスタイル。しっかりと味が入ってるので、麻婆豆腐の餡が絡むとまろやかな味わいに。香ばしくパラパラとほぐれれば、香ばしい香りが口いっぱいに広がります。そう、まるでこれはカレーライスならぬ四川ライスです!

冨士乃屋-09

お次は「重治さんと共に作った」というねぎラーメン。唐辛子色に染まった山盛りのネギが、見た目で身体を温めます。

秘伝の鶏ガラと豚骨のスープが身体にじんわり馴染み、中太麺を啜ると小麦の甘さと辛さとのミックスで生まれる味に愛おしさを感じます。これぞまさに、食べ飽きない味です。

冨士乃屋-10

そしてカツ丼。大ぶりのロースカツと半熟感が残った卵が白ごはんを覆い、衣柔らかなカツと卵を茶色に染める甘い味付けが、定番の安心感を醸し出します。また、味噌汁の味が懐かしくていいんです。

「出汁には煮干しと昆布を使ってます。特に昆布は地元で豊富に取れるので、しっかり使いたいですよね」という気持ちが身体を満たします。

■未来へと、屋号を支える大きな背中

冨士乃屋-11

現在、お母さんと共に厨房に立つ四代目の将史さん。高校卒業後に調理師学校に入り、重治さんが作り出した中華料理を中心に厨房で味を守っています。実は、将史さんが高校に入るのと時同じくして、重治さんは病に冒されてしまったのです。

「血液の病気だったので、少しずつダメージが広がっていったんです。医者に診断された時には『余命5年』と言われました」

余命を通告されたことを知った将史さんは、高校卒業後に調理師学校へ。「入院期間が長く、ほとんど仕事はできなかった」というその間、厨房は峰子さんと綾子さんが守っていました。それでも、体調がいいときには厨房に立ち、お客さんに笑顔を届けていた重治さん。震災から数年、食堂の復興を見届けて生涯に幕を下ろしました。

「11年も生きてくれたんです。昔に較べて医療技術が進化したこともありますが、精神力が強かったんだろうなと」

重治さんの気持ちを受け継いだ将史さん。「ラグビーをしていた」という大きくたくましい背中が、冨士乃屋を支えています。

「食堂の将来がどうなるかは分からないですね。でも、息子が腕を振るうことができる場所であれば。そう思うんです」

きっと、今日も厨房で腕を振るう親子の姿を、重治さんが見守っているはず。親子三人四脚で守られる冨士乃屋のショーケースに飾られた料理は、今日も憩いの場のシンボルとして、お客さんを出迎えています。


創業年:昭和8年(取材により確認)
住所:〒027-0084 岩手県宮古市末広町5-3
電話番号:0193-62-2230
営業時間:11:00~20:00(ラストオーダー)
定休日:火曜日
主なメニュー:四川チャーハン(790円)/ねぎラーメン(720円)/カツ丼(750円)/五目ラーメン(720円)/ダールラーメン(720円)
※店舗データは2017年10月19日時点のもの、料金には消費税が含まれています。

〒027-0084 岩手県宮古市末広町5-3

プロフィール

百年食堂応援団/坂本貴秀
百年食堂応援団/坂本貴秀合同会社ソトヅケ代表社員/local-fooddesign代表
食にまつわるコンテンツ制作をはじめ、商品開発・リニューアル、マーケティング・ブランディング支援、ブランディングツール制作などを手掛ける。百年食堂ウェブサイトでは、全記事の取材先リサーチをはじめ、企画構成、インタビュー、執筆、撮影を担当。