青森県青森市「小田九」

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小田九-01

■乗合馬車の発着場に生まれたそば屋の物語

現在の青森高校の場所にあった、日本陸軍第8師団に所属する歩兵第5連隊。
ここに入営する兵士と面会に訪れた家族が合流していたのが、連隊に向かう乗合馬車の発着場。
明治28年、提川沿いのこの場所に生まれたそば屋さんが小田九です。

創業の主役は小田松三郎さん。
漁業を営みつつ提川沿いの魚市場で小売も手がけていたことで、連隊の御用商人もしていました。

その息子・豊太郎さんは、日清戦争に出征していたものの怪我で帰国。
戦争に勝利した一方、本家の長男が遊んでいるのは世間体が悪いと感じていた松太郎。
小売のために借りていた呉服店を買い取り、食べ物の商売をやりたかったという息子のために料理人を雇い小田九を創業しました。

この屋号は松三郎の先祖・小田九郎衛の苗字と名前一文字を使って生まれたもの。
後に松三郎は自らの名前を九郎衛に改めるのですが、
「おそらくは『食堂の段取りをしたのは自分だ』と周りに言いたかったからでは」と。

そんな物語とそばの味とともに、暖簾は豊太郎から二代目の安太郎さんに受け継がれます。

麺作りが上手だった一方、
「遊び人で自分が小さかった頃、朝起きたら安太郎が麺の茹で湯で澗をつけていた」という豪快な一面も。
そんな背中を見ていたからか、三代目の豊次郎さんは真面目に仕事に取り組む職人肌。
お店を営む安太郎の弟さんの元で修行を積み、暖簾を継ぎました。

小田九-02

現在のご主人は四代目の裕樹(ひろき)さん。
元々、食堂を継ぐ気はなく東京でサラリーマンをしていたのですが、「祖母が食堂の手伝いをしていたが、色々と忙しくなって大変だった」という事情もあって東京から戻りました。

「俺が小さいころの姿を知っているお客さんも多いので、ワルさもできない」と語る四代目。
昔からの常連さんから「おだく顔」と呼ばれる笑顔が素敵なんです。


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